Moonstruck


この記事は4月11日にアップしている。ほんとうは映画The Moon月に囚われた男)の公開前にアップしておきたかったのだが、できず。公開前にすでにDVDで見ていたのだが、これではまるで4月10日に映画館でみてきたにもかかわらず、それ以前に見たようなかたちで前日の日付で記事を書いているというようなあざいといことをしていると思われそうだが、でも、ほんとDVDで見ていた*1


その証拠に、ソニーピクチャーズのアメリカのDVDは、ケースが肉抜きしていあって、破損しやすい(Bright StarsのDVDもソニーピクチャーズで、ケースが同じく肉抜き。どうしたのか理由は不明)。そしてThe MoonのDVDの特典映像として収録されている監督ダンカン・ジョーンズのショートフィルムWhistle(2002)が、けっこう面白いことも記しておきたい。


Whistleはハイテクを駆使して要人/悪人を暗殺する殺し屋が、ターゲットの男を殺害するとき、その幼い娘も殺してしまい、思い悩む果てに、ある決意をもって、殺された男の妻に会いに行く物語である。人工衛星を使っての殺人方法は、どういうものか科学にうとい私には見当もつかないのだが、それ以上に、殺し屋の妻が夫の仕事をちゃんと知っていて、事故だから思い悩む必要はないと慰め叱咤激励するところが異色。しかし大きな問題点もあって、この映画は、殺し屋が、ターゲットの男の妻に会う直前のところで終っていて、オープンエンディングである。


しかしオープンエンディングというのは、オープンでもあっても、半ばクローズドされている。この後、殺されるのではないか、ハッピーエンディングとなるのではないか、あるいは両義的であるかどうかもふくめて、結末は予想できる。しかしこのショートフィルムの場合、私自身、自分が頭のいい人間だと思っているが(笑いどころなので、本気でとらないように)、その私ですら、結末が予想できない。このあと主人公は、殺された男の妻と接触する前に、妨害される、殺されるという結末はじゅうぶん考えられる。だが、たとえそうだとしても、ではこの殺し屋は何をしようとしたのか、わからない(タイトルのwhistleも含め、元ネタのようなものがあって、それを知っていればすぐにわかるようなものなのかもしれないが、その場合も、ヒントのようなものを示すべきだろう)。



アメリカのテレビ・シリーズで、日本では「ミステリー・ゾーン」の名前で放送されたTwilight Zoneシリーズがあった。子供の頃(小学生くらいだったか)、それを時折見ていた私は、1時間枠に拡大されたシーズン(第4期)の作品に大きな衝撃を受けたことを憶えている。そのなかのひとつに、こんなものがあった(ネットで調べると第10話「死の船」Death Shipのようだ)。


SF物で、地球からの宇宙船(クルーは三人くらいか、それ以上)が未知の惑星に着陸すべく、地上をモニターしていると、墜落した宇宙船のようなものがみえる。人類が始めて探検しようとしているその惑星に、先に到着(墜落)していた生物らしき宇宙船がみえる。さっそく着陸して調査を開始するが、自分たちの宇宙船と同じ名前をもつ宇宙船の司令室に入ってみると、そこに、彼らとまったく瓜二つの宇宙人/人間?の死骸がある。


ここからSpoilerだけれども、まさか『トワイライト・ゾーン/ミステリー・ゾーン』をこれから見ようとする人はいないと思うので(というか伝説のシリーズなので観る人はいるかもしれないので、その人は読まないように)、つづけると、そこで調査を続行するうちに、あとから来た宇宙船のクルーたちは不思議な現象を体験する。たとえば地球にいる家族と再会したりする。なにが起こっているのかわからないうちに、やがてクルーの一人が真相を突き止める。自分たちは皆死んでいるのだ。最初にみた宇宙船のなかの、自分たちの瓜二つの宇宙人らしき死骸。あれは自分たちの死骸なのだ。そう認識した次の瞬間、場面は冒頭にもどる。地球から、この惑星の調査にきた宇宙船が、地上をモニターしていると、墜落した宇宙船のようなものがみえる……。


こうして最後のナレーション。もちろん正確なところは忘れたが、要は、彼らは惑星の着陸に失敗して全員死亡。だが、自分たちが死んだことがわからない彼らは、生霊となって、この惑星を彷徨い、何度も同じ出来事を体験するのである、と。


いまフジテレビで放送している「世にも不思議な物語」――あれを小学生が始めてみたら、けっこう衝撃を受けるのではないかと思うのだけれども、私も、このエピソードには衝撃を受けた。まさかこういう結末とは予想がつかなかったからだ。しかし、あれから何年経過したことだろう。


宇宙基地あるいは宇宙船で、分身をみること。あるいは死んだ人間に再会すること。実は、どちらかが先かわからないし、どちらが先でも影響関係はないように思えるのだが、いま紹介したミステリー・ソーンのエピソードは、スタニスワウ・レムのSF(あるいはその映画化も)『ソラリス』を彷彿とさせるものがある。レムのSFの場合、瓜二つの存在は、人間を実験する/人間とコミュニケーションをはかるために、惑星そのものが生み出したものだったが、しかし、繰り返すが、あれから何年経過したことだろう。月の基地で、自分と瓜二つの人間が死んでいた――死んだと思っていたが重傷で手当てをすれば助かったのだが――、そうしたときの反応として、最初は、戸惑うが、昔のように驚くことなく、また幻影(という可能性も残しながら)、あるいは見た本人が発狂したという可能性も残しながら、誰もがこう判断するのではないか、クローンだ、と。


実際そうで、映画『月に囚われた男』では、自分と瓜二つのもう一人の人間は、クローンだった。しかもさらにいうと自分もまたクローンだった。これはSpoilerなのだが(書いてしまってから言っても手遅れだが)、しかし自分もクローンだったという発見が認識のめまい、あるいは痛切な痛み(自分は本物ではない)とともに訪れることはなく、むしろ、そのところは、むしろパスというか、簡単にすまされてしまう。ショートフィルムWhistleの場合、ヒットマンが、家族に自分の真の仕事を隠すべきか告白すべきかという通常の葛藤が消去されている(妻が最初から知っている)のだが、それと同様に、本物かクローンかという葛藤はこの映画では消去されている。クローンといえども、人間である。レスキューチームが到着すればクローンとしての自分たちは処分されるが(レスキューチームの到着を待つというのは、宇宙版『真昼の決闘』だったSF映画アウトランド』の設定を髣髴とさせる)、それまでにどう事態を打開するかが後半の焦点となる。


クローンといえども人間であること、さらにいうろクローン同士の葛藤も、片方が傷がいえていなくても、弱っているため、対等のクローン同士の葛藤というのもない。いや最小限に抑えられている*2


そしてあとはサヴァイヴァル。結局、外は真空の限られた空間での孤独な生き残り作戦というのが、ある意味、そこに山のように葛藤と情念を盛り込めるところ、可能な限り押さえて、たとえ『2001年』ほどではないにせよ、冷却的時空間の物語となっている。冷たい真空としての外部。無機質な内的空間。そして音楽。リアルなSF映画の伝統的スタイルへのある種のオマージュとも、また再=現前ともなっている点で、興味深い。


サヴァイヴァルといったが、逆にいえば、外部の死との直面ということである。物語において差し迫った危機と死をいかに回避するかという問題とともに、月の裏側における死の空間、そして大企業のグローバルな陰謀という死、映画は、幾重にも死と直面する構成になっているからである。それはまた、古典的なリアルな宇宙空間SF映画の条件ともいえる表象スタイルでもあったのだが。

*1:なおこの作品について紹介したりコメントするのは2月か3月にも出来たのだが、個人的事情があって、それは控えた。4月になったので、いまや問題ないと思うが、問題もあるかもしれないというか、問題があるかもしれないと書いてしまったことが問題なのかもしれないが、あとは知らない

*2:ちなみにテレビ・シリーズ『スターゲイト』のなかの一エピソードで、クローンではなかったかもしれないが、偽者を扱った回があって、最初、レギュラー・チームの面々が、どこかの惑星にいるのだが、やがて彼らが全員、偽者であることがわかる(彼らも最初、自分たちが偽者であるとは思っていない)。本物のチームが登場し、やがて一波乱あったあと、問題は解決し、本物のチームは帰ってゆく。そして最後に偽者のチームが残り、自分たちはこれからどうすのだろうというところで終る。偽者の側からの視点で描いた異色作で、本物・偽者のチームといっても演じているのは同じ役者たちなので、偽者とされたほうの悲哀が伝わってくる、面白い作品だった。なお映画『月に囚われた男』では、本物はすでに地球に帰還しているようで、クローンだけが15年くらい前の記憶というか世界を生きるように設定されているのだが、そのへんの悲哀は、あまり強調されてはいない。