Mileage, My life


沢尻えりかが、メールで夫に離婚意志を伝えたといことで話題になっている。それって『マイラフ、マイレージ』の世界ではないなか。映画の物語は、会社がリストラ対象の特定の社員に解雇を通知するとき、それを代行する業者で働く男(ジョージ・クルーニー)の物語である。直接会って解雇を伝え、転職あるいは再就職のための関連資料を渡し、時と場合には、未来に希望をもてるようなアドヴァイスをする。しかしこの事業の費用削減と簡略化を目指して、ネットのテレビ電話で解雇を通知することを提案する新卒の社員があらわれる。アメリカ中を飛び回る出張業務に生きがいを感じていた主人公は、若く頭のきれる新卒社員(女性)に仕事の実態を知らしめるべく、彼が抱えている解雇通知業務に同行させる。


という話なのだが、この映画の物語の浮遊感というよりもある種のやりきれなさは、メールとかネットのテレビ電話で解雇を通知するのではなく直接会って通知することが人間的だといえるとしても、解雇通知をする側は、解雇される社員とも解雇する会社とも無関係な代行業者であって、その時点ですでに間接的なのである。しかも映画はアイロニカルに間接性を強調する。


たとえばネット経由で解雇通知をしたほうが経費削減になると提案した若い社員(『トワイライト』の彼女だが)は、恋人からメールで別れ話をつげられ、ショックを受ける。また解雇を通知された女性が、解雇されたら自殺をするしかないと語り、その若い社員にショックをあたえるのだが、最終的に、その女性は、自殺をとげるという事件になって、若い社員は会社を去る。その際、メールで退職の意志を伝えるのである――彼女の上司は、近頃の若い者は礼儀を知らないとこぼす。


解雇された人物の自殺によって、ネット・テレビで通知する業務は中止になる。主人公は、また、もとの出張業務にもどることになり、映画は終わる。しかし、解雇通知業務が終わるのではなく、ネット・テレビでの通知をやめるだけである。しかも、自殺した女性は、ネット・テレビで解雇を通知されたのではなく、直接、会って解雇を通知されていた。だから問題なのはネット・テレビではなく、解雇通知業務なのだが、それは問題にされない。


ちなみにショックを受けて辞めた彼女の再就職先も、同じ、解雇通知業務会社なのである。しかも映画のなかで解雇通知される多くの人たちは、俳優ではなく、ほんとうに解雇された人たちである。見ていて、つらくなる。解雇される人たちは、彼らが、無能で会社の業務に損失をあたえているようにもみえない。むしろ、アットランダムにピンポイントで選抜されるように思。つまりがんを告知される人とそれほどかわらない(がんになるのは、当人の人徳とか生き方とは関係ないのだから)。


これが資本主義社会のなれのはてである。私は、明日、がんを告知されるかもしれない。それはしかたがいことなので、残された短い人生を有意義にすごすしかない。しかし、明日、それと同じで解雇を通知されたら、やはり怒るか自殺するしかない。もっとも、そう書ける私はまだいいほうで、実際に、日本でも多くの人たちが、この映画『マイレージ・マイライフ』の解雇された人たちと同じ目にあってきたのだから、言葉を失う。そのあとにくるのはあきらめではなく怒りであるべきだ。