全員に返信


よく出欠の返事をメールで全員に送信している人がいるが、操作ミスならまだしも、全員に送信するのはおかしいといわれことがある。その時、操作ミスで一人だけに送ってしまうことがあるが、出欠の返事は、全員に出すのがふつうだと思っていた私は、出欠は全員でしょと答えた。


というのもメールで、複数の人に出欠とか、なにか賛成反対を問うときに、返事は、全員に出さないとまずいのではないかと思う。全員に送信して問い合わせをする場合、返事も全員に送信でしょう。たとえば教室とか会議室で、出席の人、手を挙げてと問いかけるようなもので、その時、誰が出席か欠席かわからないと意味がないし、あとから個人的に私は出席しますと先方に答えるのも意味。


ここで留意すべきは、携帯だと、全員に返信ということができない。そのため携帯メールの場合は例外である。またすぐに返答ができないこともあって、問い合わせが再度来て、個人的に返答するという場合もあるだろう。しかし、複数の人への一斉メールは、パブリックなものであって、返事も当然、全員に返信でしょう。


とはいえ、たしかに5名くらいに出欠を聞いてきたとき、互いに顔見知りだとして、全員に返信しないのはおかしいが100名に聞いてきたとき、100名に返信するかどうかは微妙なところである。数が問題になる。100名もいると全員顔見知りということ、はないだろうが、たとえ全員顔見知りでも、100名全員に返信は躊躇する。では50名は、30名は、20名は、となると、まあ個別でもいいかなと思う。となると10名では、5名ではとなって、結局、個別に返信してもよくなってしまう。


授業などでも少人数の演習などは、一斉メールで、いろいろな告知をすることがある。それに対して、確認を、携帯の学生以外も、個人的に返してくる。内容によっては全員に返信でなくても、個人的に返信してもおかしくない、あるいはそのほうがいい場合もある。個人的な相談ではなくても、わざわざ全員に一斉送信するまでもないと考える場合もあろう。あるいは、単純な回答ではなく、付随情報それも個人的な情報を伝えなければならないとき、一度、全員に返信で回答したあと、個人的に再度送信するというような場合もでてくるかもしれない。パブリックなメールとプライベートなメールとの間にはグラデーションがあるために、「一概に言えないこともある」かもしれない。


しかし、小規模の一斉メールの場合。それこそ人数の多くない同僚への事務的メールとか、演習の参加者への通達ということだが。そして論点を繰り返すと、そうした小規模の一斉送信メールの場合、全員に返信すべきだと思う(どこまでが小規模で、どこからが大規模かはわからないが)。学生には、こちらから全員に返事を指定しても、それをしようとしない学生がいる――操作ミスということもあるので追及ははしないが。またこれは人見知り問題とは違う。


すこしあるいは大きく話がずれるかもしれないが――


20世紀の終わりころ、ある場所に薬をもらいに通ったことがある(いかがわしい薬ではない)。行くと、整理番号を書いた大きなカードを渡され、時間がくると、整理番号順に並ぶようにと言われる。その時、自分の整理番号を書いたカードを隠して見せないような人がいる。一人や二人ではない。かなりの人がみせていないのだ。だからどこに並んだり、割り込んでいいのかわからない。もちろん私は自分の整理番号がわかるように人に見せながら移動するのだが。最初にうちは、カード番号を見えなくしたり、隠したりしている人は、自分は前後ともに所定の番号に位置しているので、ここには割り込めませんという暗号かと思った。しかし、そんなことはなく、私は番号を隠している人に、番号を訪ねて、自分の居場所をみつけなければならなかった。最初から番号みせておけよ(人見知り教師なので、番号を見知らぬ人に聞くというのは、かなりの緊張と苦痛をともなう)。ほんとうにてめえら何を考えているのかと何度もいいたくなった。自分の整理番号を隠す必要があるのか。それを重要な個人情報と思っているのか。このことって、出欠程度のことを全員への返信メールにせず、個人的に答えてくるのと同じ感性なのか? ちがうかもしれないが。


これではおちがない。やはり、ポストモダンは胴元と一対一で交渉するルーレット方式がよくなじみ、横のパブリックなつながりは嫌われるのだろうかという話にすればよかったのだが(この話はいずれまた)。