女性にやさしい男性のことをフェミストというバカがいまだにいる。使い方間違っているし、古いし。


血:エリザベス(イントロ)

小学生を含む、若い男女に混じって、『銀魂』劇場版を立川の映画館でみてきた(立川は私の地元ではない)。たぶん、私が最高齢だったのでは? 人気を反映して前列までほぼ満席状態で、ギャグの受けもいい。全然、すべっていない。たしかに、少年ジャンプからワーナーブラザーズまでをネタにするメタ的なギャグは面白いのだが、その面白さに若い観客が敏感に反応しているのは、すばらしいというか、うらやましい。


コミックスもテレビアニメも観ていないので、通常はどうなのかと知らないが、いかにもサンライズ・アニメというべき映画版は、出血大サービスという言葉が文字通りぴったりで、ほんとうに血の海だった。


アニメで血の海を目撃したのは、私の乏しい経験では、『イーオン・フラックス』が初めてで(シャーリーズ・セロン主演の映画版は、そういうことはなかったのだが)、今回の『銀魂』は、いつもそうなのかもしれないが、血が多い。内容も含め、これは高校生以上の大人が面白がるアニメではないか(実際、老人でも楽しめる)と、「もう中学生」の姪に行ったら、小学生の頃からみんな見ていますと、へ〜んだ、と言われた。なにえばってんだ。そこがえばりどころかと思ったが、まあそれはともかく*1


大量の血は、実は、映画的描写にふさわしいものであって、スプラッターは、暴力の映画的表象であり、また同時に、残酷ではないというのがポイントなのだが、この話は後日また。


フェミニストって勝手にまちがって言うな:エリザベス(本題)

芸能界の一部のバカ現象というのが、いくつもあるのだが、そのひとつは、いまでは消滅したがEntertainmentをめぐる発音だった。「エンターテインメント」あるいは「エンターテイメント」(も可。国語辞書の見出しにもなっている)というのはいいのだが、「テイ」を「ティ」と勘違いして、「エンターティメント」そして「エンターティナー」と語っていたバカ芸能人がけっこういた。ひどいときには「エンターチメント」というバカもいて、いったいそれは何だと思ったことがある。


しかし芸能界全体では、これを誤用とみる正しい判断をする勢力があって、ひと昔は、テレビのナレーションでも「エンターティメント」と言っていて、そのまま「エンターティメント」が外来語の表記として定着しそうだったのだが、さすがに最近の自浄作用と知的矯正作用によって、最近は、こういう馬鹿な表記はなくなった。よかったと思う。


また、もしいまどき、「エンターティナー」とか「エンターティメント」といったまちがった表記を使う人間が出てきたら、その頭の古さ、無神経さにがっかりするし、またそういう表記を駆逐してきた努力が水の泡としかいいようがない。いやさらにこうもいえる。たとえばそういう表記が出てきたとき、それがハプニングではなければ、たんに無知な個人のバカ発音に留まらず、それを許容した周囲にも責任が及ぶだろう。なさけなさすぎるということになる。


この『銀魂』では、悪役の人物が、自分は女性に対して手荒なことをしない、自分はフェミニストだといっている。あほか。そういうまちがった使いかたは、とうに死滅したかと思ったら、まだ残っているではないか。


フェミニストというのは「女性解放論者」「女性解放運度家」という意味で、原則として、また当然のことながら女性のこと。男性のことではない。「女性にやさしい男性」という意味は、たしかに昔使われていた。誤用で和製英語(?)とでもいうべきものか。昔使われていたから、辞書にも掲載されている。しかし、もう今では使われなくなったと思っていたら、いまも、21世紀になってから、使われている。『銀魂』は、ポンコツアニメではないかもしれないが、作家(台詞を書いている人間)は、完全に恥さらしな大バカで、それをとめなかった周囲も大バカとしかいいようがない。程度が低すぎる。


女性にやさいい男性のことをフェミニストいうのは、私が子供の頃に、親の世代から聞いた言葉だ。そういう言葉があるのかと知って、すこし頭がよくなったような気がしたが、実際には、それは誤用なので、バカになっていたにすぎない。これは私が子供の頃のことである。いまから50年以上も前のことである。『銀魂』はパラレルワールド明治維新期のようなだから、昔の誤用を保存しているといういいわけは通用しない。たんに、無教養で無知なだけだ(1回くらいなら無視してもよかったのだが、映画のなかで何回も出てくる)。


ナショナリストというのは、自国・自民族の解放なり独立なり優位性を主張し実現せんとする人のことでしょう。彼/彼女は日本のナショナリストだというときに、日本のことが大好きなアメリカ人という意味であるわけがない。


90年代のことだが、私はある同僚の男性教員と、「あの人は、フェミニストだから怖い」というようなことを話していたことがある(私ともう一人は、フェミニズムを完全に支持しているので、フェミニズムあるいはフェミニストを非難なり批判しているのではなかった。ただ怖いものは怖いにすぎない)。そばでそれを聞いていた男性教員が、「あの人」というのが女性のことだとわかると、驚きの声をあげた、「え、それって女性のことですか?」と。つまり「フェミニスト=女性にやさしい男性」という誤用を信じていたので、まずフェミニストが女性であることに驚き(そんなことでは世界に通用しないぞ)、そして「怖い、きつい、きびしい」というイメージにさらにびっくりしたのだ。50年以上前の「女性にやさしい男性」という誤用を信じていたら、まあ、そうなるしかないのだろう。


ちなみに、わかりやすすぎる(でもほんとうの話だが)、後日談がある。フェミニストが女性のことであることを知らなかったその男性教員は、文学が専門ではなかったのだが、その後、セクハラで大学を追放された。フェミニストの正しい意味を知らなかった、そのバカは、結局、セクハラの意味も知らなかったのである。

*1:あと、姪も、私も、桂、高杉、吉田(映画では吉田松陽なのだが)の血は流れていないけれども、同じ山口県人のミトコンドリアを受け継いでいて、これは新撰組(映画では真選組)などという反動的国家テロ暴力集団のミトコンドリアではなくて、革命家のミトコンドリアなのだと姪に語っても、ミトコンドリアは地域限定かと言われて一蹴されたが。