時には母のない子のように

小林政弘監督『春との旅』を新宿のバルト9で。

最初にいくつか気づいたことを。鳴子温泉の温泉街に「ラジウム卵」の看板が見えた。前日、『秘密のケンミンショー』をぼんやり見ていたら福島のほうでは温泉卵のことをラジウム卵と呼ぶといっていた。それを急に思い出した。もし『秘密のケンミンショー』を見ていなかったら、卵を使ったへんな菓子で、温泉町のわけのわからないお土産のひとつくらいにしか思わなかっただろうから、ありがたいことである。とはいえ鳴子温泉は、福島県ではなく、宮城県じゃなかったか。そういえば『秘密のケンミンショー』でも、福島以外でも近隣の県でラジウム卵と呼ぶといっていた。


仙台でホテルに泊まろうとするとき、フロントで、満室だと断られて、二人が困る場面がある。べつに二人の風体が怪しいからではない。民宿とか地方の小さな旅館とちがって、都会のホテルでは、いきなり行ってフロントに部屋は空いているかと尋ねても満室といって断られるといわれている。直前でもいいから、電話をして部屋を確認すべきだとも。電話をすれば部屋が空いていれば泊まれる。これはどういうシステムかわからない。フロントでは予約、宿泊依頼、いっさいを受け付けないかのように思われる。なぜなのだろうか。なぜ電話ならいいのか。


ちなみに映画のなかであちこちのホテルで断られた徳永えりが、あるホテルで、どうしてどこも部屋が開いていないのかとフロントで尋ねると、今日は、学会があって、泊り客が多いのだと答えが返ってくる。たしかに何か学会があって、部屋が取りにくい、あるいは取れないことということはよくあるようだが、たぶん、それも嘘で、ホテル側が使う定番の言いわけではないかと思う。


結局、どこのホテルでも断られ、ロビーからも追い出された二人が、野宿ではないが、仙台市のどこかのベンチで一夜を過ごす――よく宣伝で使われている映像。あのベンチがある界隈、なんとなく既視感があると思って映画の公式ホームページで調べたら、仙台市メディアテークがある通りの近くのベンチだった。メディアテークでは、カルチュラル・タイフーンで講演をしたことがある。既視感の理由もわかった。


この映画で、唯一、ミスリーディングなのは、冒頭の場面である。というか映画のせいではなく、映画を観る前に与えられてしまった情報によって、老人と孫娘が、老人をひきとってくれる兄弟親戚を頼って行くものの、あちこちで断られる話だと知っていたから、冒頭の場面、仲代達也扮する老人が海岸沿いの寒村のボロ家から飛び出してきて、憤慨して杖を叩きつけていく、そのあとを旅支度をした徳永えりが追いかけてゆくという場面を、途中から始まっているものと思っていた。この家でも、断られたのだ、と(とはいえ、こんなボロ家では、養ってくれと頼むほうがまちがっているとも思ったのだが)。しかし、実は、あの場面は、途中からではなく、最初であった。つまり老人と孫娘の旅立ちであった。しかし、あの場面は旅立ちに見えるのか。そこに象徴性を感じ取る前に、私のように勘違いする者も多いのではないだろうか。


それに足が悪いという設定の仲代達也が、最初から杖を捨ててしまうのは、象徴的意味はあっても、身体的には無意味である。杖は、足の悪い人間には必需品である。もちろん演技面で杖があると歩きにくい、あるいは個性的な歩き方ができなかったので杖を捨てたのかもしれない。歩き方といえば、徳永えりの蟹股歩き。いくら田舎者とはいえ、いまどき、あんな蟹股歩きをする女性(!)はいない、ぞ。まあ足が悪い祖父の遺伝で、孫娘にも歩き方に特徴が出ているということなのだろうか。


あと二人で話をする場面で、話者のひとりをうつし、切り替えしてもうひとりをうつすというカメラワークは、角度がずれていないだろうか(特に温泉で酔いつぶれた祖父を起こしてからのやりとり)。つまり通常は、カメラが同じ側に位置していなければいけないのだが、あえてそれを破っているのか、そこに意図的に違和感を出そうとしているのか、よくわからない。違和感もないので、これでいいのかもしれないが、この点は、不明である。



あと徳永えりを見ながら、どういうわけか『フラガール』を思い出した。フラガールに最初に応募し、むしろ友達の蒼井優をひっぱってゆくような、やるきまんまんで熱心な女の子だったが、家の都合で、志なかばで炭鉱町を去らねばならくなった子がいたなと、ぼんやりと思い出してた。しかしあとで調べたら、どういうわけもくそもない。『フラガール』のその少女が徳永えりじゃん。いやあ、人に言っていたら恥をかくところだったと、一人で赤面。


さて映画のなかで、その徳永えりが、泊まった宿屋の浴場で、鼻歌を歌う。それが「時には母のない子のように」(寺山修司作詞、歌:カルメン・マキ)。なつかしいし、それはまた映画のなかでの彼女の境遇に似ているというか、彼女は母がない子なのだが。しかし、それにしても、19歳の女の子が知っていて口ずさむ歌なのだろうか。いまの若者は知っているのだろうか。あきらかに老人の観客向けではないだろうか。私も、その観客のなかのひとりなのだが。


ということで、老人と少女の物語は、老人向けの物語となる。仲代がかつて、黒澤明の『乱』で主役を演じたことがあることから、これは現代版『乱』というか『リア王』だと感じた人が多かったようだ。とはいえ私は、特に『リア王』を意識はしなかった。住処を奪われ荒野に追放されて発狂してゆくのがリア王なら、それにつきしがたう徳永えりは、コーディリアというよりも、道化に近い。


また映画では仲代達也扮する老人は、兄弟の家を訪問しながら、結局、自分から喧嘩して出てゆくのであって、本当は、孫の徳永えりといっしょに暮らしたいということがみえみえである――この点は『リア王』とちがうというか、あるいは『リア王』に陰在している可能性を実現したというべきか。


最後に、娘婿のところに行って、その娘婿の再婚相手の女性から、いっしょに暮らしませんかと、心からの提案に、感極まりながらも「気持ちだけありがたくいただく」と言うのだが、これが、一種の前ふりとなる。老人と孫娘は、娘婿の家から逃げ出すのだが、仲代が、北海道の地元の蕎麦屋で最後に徳永えりから、おじいちゃんと死ぬまで一緒に暮らす、たとえ自分が結婚するとしても、おじいちゃんと一緒に暮らしてくれない男だったら、絶対に結婚しないという愛の言葉の受け手となる。ここで、ふたりの旅は終るのである。


もちろんこの告白が生まれる背景には、老人と孫娘が背負ってきた人生の重さがある。ふたりが受けてきた心の傷、そして耐えてきた死者への思い、それがふたりを強い絆でむすびつけていることがわかる。その強い絆を生み出したものとして、死者の悲劇が存在したともいえる。そして徳永えりの演技が、この最後の蕎麦屋の場面を信じられないくらい説得力のあるものした――下手をすると、その告白を、たんなる老人の身勝手なファンタジーに沿うものとしか受け取れない場面で。


小林政弘監督の前作『白夜』では、旅の終わりはどうだったのか。ネタバレかもしれないので、語るのを差し控えるが。『春との旅』も構造的には同じ結末である。もちろんニュアンスは違う。最後に仲代が春から聞きだす言葉は、彼が映画のなかで聞きたくてしかたなかった絶対的愛の告白である。そしてこの絶対的愛が孫から示された以上、祖父も、もうあとにはひけない。絶対的愛で応えねばならない。絶対的愛は、「気持ちだけありがたくいただく」ものでいいのである。もしこの老人(やがて歩けなくなり寝たきりになるであろうことがわかりきっている老人)が孫娘と死ぬまで暮らしたら、たとえ孫娘は絶対の愛ゆえに苦労をいとわぬとしても、彼女の人生が生き地獄である。孫娘の絶対的愛は、この地獄すら気にしないというものだった。それだけ聞けばじゅうぶんである。老人も、孫娘の絶対的愛に、みずからの絶対的愛をもって応えねばならない。すなわち孫娘のために、彼女に幸福な人生を約束するために死ぬのである。


一生、一緒に暮らしてもいいと心から言ってくれる孫娘がいるということは、老人にとっては、まさに奇跡のような夢物語であり、ファンタジーだろう。そんな孫娘などいるものか。しかし、この映画のファンタジーは、そこにはない。こんないい孫娘を幸せにするように、うまいタイミングで死ぬこと、それこそが、老人の誰もが望みながら実現できない奇跡であり、それをやりとげた仲代は、まさにファンタジーのそのものなのだ。うまいタイミングで死ぬること――それも絶対的愛に応えるかたちで死ねること。これが老人にとって、得がたい、軌跡の夢なのである。