Memento Mori 1

このブログは、母親の命日にはじめている。もっとも母が生きていて、このブログをみたら、絶対にやめるようにと叱られることはわかっているのだが、しかし、言っておかなければならないことは絶対に言うというのは私の主義で、これからTモンキーズどもと徹底的に戦い、その親玉猿を徹底的に批判することを、あらためて誓った。まあ、母が生きていたら、やめとけといわれるのだが。


父親はサラリーマンで、鬼軍曹のような人で、私は大嫌いだった。父は、家に帰っても、部下に電話して、電話越しに部下を大声で叱り怒鳴りまくっていて、母は、「やめておきなさい」といつも父に注意をしていたが、家に帰ってまで電話で部下を呼び出して叱責するこいつは、なんだとあきれ、私は、電話の向こうで叱られている部下(どんな人物か知らないが)に同情していた。


ただ部下にも厳しい父は、上司にもずけずけと物を言って、仕事の方針で当時の支店長と大喧嘩し、その支店長が、本社に呼ばれて社長になったこともあって、父の出生の望みは絶たれ、定年の頃には、完全に、閑職にとばされていた。いわゆる窓際族である。


とはいえ学歴のなかった父は、いわゆるノン・キャリア組みだったから、課長までに出世したのは有能であった証拠で、ノン・キャリアで、課長になれば、出世頭である。だから、私としては、その点は尊敬している。とはいえ、父親は、それでは満足できなかったようで、本来なら中間管理職から管理職・重役へと出世できると思っていたようだ。それはどんなに有能でもノン・キャリア組なら無理でしょう。しかし、父は、自分の父(私の祖父)は、東大(東京帝大)の工学部を卒業している秀才で、その息子だから、能力も資格もあってしかるべきだと妄想をいだいていたふしがある。


ちなみに父親に学歴がなかったのは、その東京帝大を卒業した私の祖父が、事業に失敗して倒産し、社長逃亡状態になって、私の父は、早く就職せねばならず、大学まで進学できなかったのである。私の祖父は、結局、京都の愛人宅(祖父は、かなりもてたらしい)で死んだのだが、妻と息子を捨てて逃亡し、生活費もなにも送ってこなかったので、基本的に人間のくずとしてうらまれていて、祖父の写真一枚残っていない。したがって私は自分の父方の祖父がどんな顔をしているのか知らない。隔世遺伝で、私のような顔をしていたら嫌だが、まあ、私は祖父のようにもてないというか女たらしではないので、顔は似てはいないだろう*1


くりかえすが、ノン・キャリア組だった父は、そのなかでは課長になった出世頭である。それ以上、出世できなかったのは、上司と喧嘩したからではなく、ノン・キャリア組だったからである*2。けれども父親と母親の考えでは、上司に歯向かって喧嘩したから出世の道が閉ざされたということだった。母は、私に、父親のように、むやみやたらに喧嘩をするものじゃないと常々言っていたが、父親は、上司を批判したことで出席できなかったと考えていたが、しかしまちがったことをしたとは思っておらず、だから後悔はしていなかった。まがったことは大嫌いで、絶対に、筋を通すということだった。鬼軍曹のような父親を、私は嫌っていたが、また私の文学的才能(あればの話だが)は、母から受け継いだものだが、なにかおかしいと思うと、(私は喧嘩は自分から売ることは絶対にないし、基本的に温厚な人間なので、むやみやたらに批判はしないが)、最後には絶対に言うというのは、やはり後天的文化的遺伝子ミーム*3のなせるわざだろう。

*1:ちなみに、私の父親はたとえていうと、いま休養中のナイナイの岡本隆史に似ている。身長も。なお、私は母親似なので、岡本隆史から私の顔を連想しないでほしい。

*2:もちろんノン・キャリア組でも社長になるケースはあるけれども、きわめて稀であることはいうまでもない。

*3:これは、ドーキンズに対する批判者がたいてい揶揄的にではあれ認めるというか賛同する概念なのであり、これで私も、りっぱなドーキンス批判者の一人になれたかな?