セクハラ


TBS午前11時から放送の『ひるおび』を、ぼんやりみていたら、上司が部下の女性に対して「ちゃんづけ」をするメールを送り続けて、セクハラで訴えられたという事件を、スポーツ新聞の記事から取り出して紹介していた。


そのときコメンテイター席(というべきか)に、八代英輝(総合コメンテイター)三雲孝江(火曜日コメンテイター)と並んで座っていた小倉弘子(TBSアナウンサー)は、あなたは上司から「ちゃんづけ」で呼ばれたらどうですかと聞かれて、全然気にしませんと、答えている。唖然。そして三雲孝江も同じような質問に、要するに、その程度のことで目くじらを立てるほうもおかしいというようなコメントをしている。


さすがに弁護士の八代英輝だけは、セクハラというのは、加害者とされる人が、そうする意志がなくても、受け手がセクハラと感じたら、セクハラなのであって、そこのところが重要であり、現在は、性的なものだけでなく、ジェンダー・ハラスメントといえるようなものまでセクハラとみなされるようになっているのだと、正しいコメントをしていたが、さすがにそうでもしないと、TBSのバカ女子アナウンサーと、元女子アナウンサーのセクハラ容認ともとれる発言で終わってしまって、下手をすると、番組の存続すら危うくなる大問題に発展しそうだったからだと思う*1


もちろん個人の意見は自由である。しかし、たとえば万引き事件があって、万引きなんて誰もがしている軽犯罪で、そんなことでいちいち目くじらをたてるのはおかしいと、番組のコメンテーターが言うのなら、その発言に賛成するしないは別にして、問題はないが、局アナがコメントしたら、大事件になるだろう。今回セクハラ容認発言をした小倉弘子は局アナであり、また火曜日コメンテイターの三雲は、TBSを退社したとはいえ、元局アナで、いまもキャスターとしてTBSの顔ともいえる存在であって、このふたりのセクハラ容認発言は許しがたいものがある。


二人は万引きごときで目くじらをたてるのはおかしいとは絶対に言わないと思うのだが、万引きよりもひどい犯罪に対しては、なぜ容認してしまうのだろうか。おそらくテレビ局では、上司が女性の部下を「ちゃん」付けして呼ぶのは、今はどうか知らないが、過去には日常化していたのだろうし、メディアあるいは芸能関係では、「ちゃん」付けが呼称が、一般企業や役所よりも、かなり一般化している可能性はある。だから、自然化していて、それが犯罪として告発されることなど、どうみても実感がわかないのかもしれない。


しかし、私は、部下という人間はいないのだが、年下の女性職員あるいは女子学生に対して「ちゃん」付けして呼んだことなど一度もないし、また「ちゃん」付けメールを送ったこともない。またそんなことをしたら、大学では、大問題で、私は職を失う。また職を失うとか失わないとかは別にして、現在では、「ちゃん」付けして呼ばないというのは、完全に常識化していることは、まあ、言うまでもない。こんなこともわからない人間がアナウンサーをしていたり、ニュースを報道する側にいるかと思うと震撼とする。


しかも、セクハラ容認発言は、たんに世間とは、ずれているテレビ局に所属する人間の発言だからといってすませるにはいかない問題がある。


小倉弘子三雲孝江も、セクハラ容認発言をするということは、当人が、上司から「ちゃん」付けされて呼ばれつづけ、それに抵抗もせず、上司におもねり、上司から尻をなでられても、嫌がりもせず、むしろなでられることが喜びであるかのようにふるまい、最後に上司と寝ることで、現在の高い地位を手に入れたのだということである。本人たちが実際にそうしたということではない。そうしたことをしなくても、その言説が、そうしたことを明確に暗示してしまうということなのだ。


つまり彼女たちが、現在の高い地位についたのは、本人の力量や功績のせいではなく、上司に体を売ったらからだと、そう思われかねないのだ。たとえそれが事実であっても、なくても、そう思われるからだ。事実であっても(たぶん上司と寝ているのだろう)、事実でなくても(ならばなおさらのこと)、そうしたセクハラ容認発言は、現在、実力と実績で高い地位に就いている多くの女性たちに対する(あるいはもし寝ていないのなら、自分自身に対する)、とんでもない侮辱発言であることを、小倉弘子三雲孝江は認識してほしい。


それは、セクハラに悩む女性たちのみならず、女性全体に対する侮辱であることを認識してほしい。もう手遅れなのかもしれないが、小倉と三雲は、ジェンダーに対する裏切り者として告発されるべきである。

*1:ふつうはセクハラに対しては無関心な男性と、セクハラに敏感でこれを許さない女性との対立構造があるのだが、今回は、逆で、女性がセクハラ容認、男性がセクハラ問題を正しく認識しているという、逆転の構図がみられた。