Rien de rien (『インセプション』)

クリストファー・ノーランChristopher Nolan(1970-)の、いまのところ最高傑作といっていい、この映画『インセプションInception(2010)は、必見の価値がある、その驚異的な映像の迷宮において、テレビ・シリーズの『スパイ大作戦Mission Impossibleのチームワーク作業を髣髴とさせる知的なアクションを展開させ*1、超一流の娯楽作品となっている。


映画の冒頭、海辺に流れてついたディ・カプリオ、そしていきなり聞こえてくる日本語。タイトルが終わってからの最初の夢は、夢のまた夢の構造なのだが、最終的にどこで夢をみているかというと、京都に向かう新幹線の個室のなかなのである。この映画は、その始まりから最後まで、衝撃的かつ刺激的な展開を、維持し続ける。


しかも、本来なら、かなり複雑な設定なのだが、実にたくみに、観客を誘導して、複雑な部分を噛み砕き、全体をすっきりわからせてしまう手腕は並大抵のものではない。そして最後は、夢か現実なのか、わからなくさせて、信ずるか信じないかは観客次第という終わり方も、しゃれている。『レポゼッション・マン』の品のない幼児的なこけおどしの結末とは、あきらかに一線を画している。


実は、このブログのなかで私が指摘したかったことだが、残念ながら、あちこちで言われていることなので、特許は申請できないのだが、興味深い指摘なので、紹介しておきたい。この映画は、メタ映画であるということだ。つまり映画をつくることをテーマとした映画であるということだ。


たとえば映画をみた人なら思い出してほしいのだが、

渡辺謙Ken Watanabe(1959-):出資者というかスポンサー
ジョゼフ・ゴードン=レヴィットJoseph Gordon-Levitt(1981-):プロデューサー
レオナルド・ディカプリオLeonald DiCaprio(1974-):アイデアをもつ映画監督。
エレン・ページEllen Page(1987-):脚本家
トム・ハーディTom Hardy(1977-):俳優
ディリープ・ラオDileep Rao:スタッフ、特撮班
キリアン・マーフィーCillian Murphy(1976-):観客

ということが指摘されている。


別に私が指摘したわけではない。これはアレゴリーともいえるが、メタ性といったほうがいいのかもしれないのだが、映画のなかで、ターゲットとする人間の無意識の世界に入り込んだディカプリオが、これは無意識の世界であり、まぼろしなのだと真実を語り、あえて仕掛けを露呈させて相手を騙すところがあるが、そうしたメタ性を考えれば、この映画の設定全体が映画製作を髣髴とさせるものがあって、おかしくない。映画のなかでは、数秒のシーンでも、映画製作では何時間、何日、あるいは何週間もかかることだってある。映画を見た人なら、この意味がわかるだろう。


しかし、こうやって俳優たちを並べてみると、気づくことがある。クリストファー・ノーランの映画の特徴は、その驚異的映像のみならず、俳優たちの優れた演技でもあるということを。芸達者なというのは、あまりよい言葉ではないが、有能で魅力的な俳優に、きちんとした見事なパフォーマンスをさせていて、俳優たちがこの映画を支えているといっても過言ではない。


評判だった前作『ダーク・ナイト』については、どこが面白いのか、よくわからなかったのだが(つまりこの程度の映像なら、これまでの映画版バットマン・シリーズと、さほどかわらないと思った)、今は亡きヒース・レジャーをはじめとして、俳優たちの演技は、月並みな言い方だが、光っていた。そして今回も、『スパイ大作戦』的なチームワークであるがゆえに、それぞれのメンバーに見せ場が用意されている。いや、この映画の設定では、それぞれのメンバーに世界が舞台が用意され、そこでは頭の回転が速くなるから、それぞれのメンバーがもてる力を最大限発揮して、大活躍し爽快ですらある。


ディカプリオと渡辺謙以外にも、たとえば映画ではアーサー役のジョゼフ・ゴードン=レヴィットは、今回は、ラブコメの草食系(この言い方は愚劣で大嫌いだが)男子顔(たとえば『(500)日のサマー)』)でもなく、また狂気をはらんだ偏執狂顔(『G・I・ジョー』とか『ストップ・ロス』)でもなく、私が惚れたしっかり者の顔をしていて、貫禄もつき、大活躍する。


ハード・キャンディ』(2005)から『ジュノー』(2007)とみて、さすがにローラー・ゲームに扮する映画は、映画的にどうというよりも、彼女の体型では、どうみてもローラーゲームの選手にはなれないだろうと、あまりの虚構性にみるのを躊躇していたら、上映が終わっていたのだが、今回のアリアドネ役は、彼女の知的さとたくさましさがよくでていて、はまり役だろう。実際のところ、彼女が妊娠しようが、ローラーゲームの選手になろうが、どうしても『ハード・キャンディ』の頃のイメージが強くて、そこに立ち返ってしまうのだが、今回の彼女は『ハード・キャンディ』からの逸脱ではなく、延長線上にあった。


トマス・ハーディという名前からいつのまにかトム・ハーディに変わった、トム・ハーディ(まあ改名したほうがよかったと思うのだが)も、大活躍している。『スパイ大作戦』のチーム方式で、なおかつ、場所が、時空を横断して、多層的に展開するから、それぞれの持ち場ができて、そこで、大活躍できるのである。


あと、ノーラン映画の常連ともいえるキリアン・マーフィとマイケル・ケインMichael Caine(1933-)も、『バットマン』シリーズから続いて登場するし、そしてさらに特筆すべきはマリオン・コティヤールMarion Cotillarad(1975-)――彼女の演技は、ミュージカル『ナイン』の役をはるかに超えていて、こんなに怖い彼女をみたのははじめてで、実にすばらしい。そして、最初誰だかわからず、ブライアン・コックスかと思ったトム・ベレンジャーTom Berenger(1949-)だった。そう、ブライアン・コックスのように年を取って肥満していたトム・べレンジャーには、驚いたが、ロードーショー映画でトム・ベレンジャーをみるのは久しぶりだった。


すぐれた俳優たちの演技で支えられた、驚異的でサブライムな映像、そして映画に対するメタコメンタリーを内臓したプロット、人間の意識と無意識をめぐる形而上的なテーマ、それらをエンターテインメントとして提示しながら、同時に、遊び心も忘れない。


そう、重要な鍵として使われる音楽というか歌があって、音楽にうとい私でも、さすがにこれはエディット・ピアフではないかと疑わせるのに充分なものがあり、エンドクレジットでそれを確かめた。マリオン・コティヤールの『エディット・ピアフ』にあわせたのかと納得したが、監督は、これは偶然の一致であると語っているらしい。うそでしょう。遊びで使ったのでは(もちろん「私は後悔しない」という歌詞を作品のテーマにからませてはいても)。

*1:ちなみに、トム・クルーズ主演の『ミッション・インポッシブル』シリーズは、チームワークが成立してないし、またチームがあっても、みんな裏切り者だったりして、すべてはトム・クルーズの独り舞台となっている。