MAX敬語

13日金曜日の午後7時台で、フジテレビ(関東圏)で放送されているバラエティ番組『ゲーム&クイズバラエティ ペケポン』に13日から新しいコーナーが加わった。<マックス敬語>である。Wikipediaの簡潔かつ的確な説明を引用すると

MAX敬語
 2010年8月13日から登場。上司役の名高達男が、部下役の岩田さゆりの会話の中の言葉の一部分に名高が激怒。その言葉を最上級の敬語に言い直す。判定員は町田健。制限時間は15秒で、答えが出てこない場合はヒントとして正解の言葉の最初の文字を提示、以降は2文字目・3文字目と提示される。


 ペケポンチームとゲストチームの対抗戦。交互に解答し正解したら10ポイント獲得、先に規定の点数を獲得したチームの勝利。負けチームは、背後から腕を回転させているゲンコツマシーンの「ゲンコツ部長」からのゲンコツを受ける。

で、13日の問題のひとつに「つまらないものですが」をマックス敬語に直すとどうなるか、というものがあった。


コントでは、部下からプレゼント(食品)をもらうときに、「つまらないものですが」と部下から言われた名高達男が、つまらないものとはなんだと激怒していた。贈り物をするとき「つまらないものですが」というのはまちがっている、つまらないものなら贈り物するなということを比較的最近言い始めたバカたちがいて、それがいまや、自分が頭がいいと思っているバカな日本人たちの常識になっているところがあって、そのまちがった常識を強化するような問題なのかと、暗澹たる思いで見ていた。


「つまらないものですが」という、ある意味、すばらしく、美しい日本語の表現が、失われてゆくのは嫌だなと、思いつつみていたら、幸い、私の予想ははずれた。つまり「つまらないものですが」という表現に対するマックス敬語は、<これはすばらしいもので、私が心をこめて選びました>というようなことではまったくなかった。


町田健が判定員で、たぶん監修もしているであろうから、実は、しっかりした問題で、つまり「つまらないものですが」のかわらりに「すばらしいものですが」というようなことを言えばマックス敬語になるというバカな問題ではなかった*1。答えは何か。私には、わからなかったし、番組内での正解者はいなかったのだが、それは「口汚しですが」というものだった。「つまらないものですが」のマックス敬語は「ほんのお口汚しにすぎませんが」というものだった。


「口汚し」という表現は聞いたことはあるが、自分では使ったことのない表現だった。「つまらないものですが」というのはへりくだった表現である。マックス敬語になると、へりくだりがマックスとなって、つまり「わたしが差し上げるもの<食品)は、あなたにとっては、ありきたりな、つまらないものかもしれませんが」がさらにエスカレートして「わたしが差し上げるものは、ぺっと吐き出したくなるような、あなたの口を汚すだけの、ひどいものかもしれませんが」ということになる。


「わたしのあげるものは、わたしが選んだすばらしいもので、ありがたく思え」というのはミニマムへりくだりで、感じが悪いが、「わたしのあげるものは、あなたの口をよごすだけのひどいものです」というマックスへりくだりも、ちょっと感じが悪い。


ちなみにほんとうの贈与はありうるのかということをジャック・デリダは考えたことがある。


通常の譲与というのは、贈り主のほうが受け手よりも優位にたつことなる。そのためこの一時的に生ずる優位関係を打ち消すために、贈り物をもらった側も、なにかお返しをすることで、贈り手、受け手の関係を対等に保つようにする。しかし、これは贈与ではない。交換にすぎない。


では、真の贈与はありうるのかとなると、それは受け取った側が、従属的立場になると感ずることなく、いいかえればお返しをする必要性をまったく感ずることなく、ただ受け取るような関係がありうるのかどうかにかかっている。もし、そうした関係がありえたら、その場合、真の贈与が成立する。


ボードレール散文詩「贋金」をめぐって延々と展開する議論を、紹介する余裕も力量もないが、日本語の「つまらないものですが」というへりくだり表現が、贈り主を、優位に立たせない方策であるとは理解できる。どこにでもあるような安物(つまらないもの)を贈られた場合、そんなに恩義を感ずる必要はないが、世界にひとつしかないすばらしいものを贈られたら、私は、贈り主に一生頭があがらないかもしれないのだ。


「つまらないものですが」という表現は、本来、対等な関係が成立しているところに、贈り物によって、不均衡が生ずるのを避けるためだということになるので、贈る側のやさしい配慮ということになる。あるいは相手のプライドを傷つけない方法でもある。


ホームレスの人に、なにか贈り物をする。それによって、ホームレスに対して、恵んでやっているのだ、ありがたく思えというような態度に出るのではなく、これはつまらないものなので、恩に着ることもないし、返礼などいらないからもらってくださいといえば、ホームレスの相手の心を傷つけることはない。ホームレスに対して、これをあげますが、それによって自分を卑下したりはしないでください、という、贈り手側からのメッセージににもなる。


しかし、「つまらないものですが」のマックス敬語・マックスへりくだりであるところの「お口汚し」となると、ここまで自虐的にへりくだると、なんだか感じが悪い。贈り物をする側がここまでへりくだるとき、これはお殿様がホームレスになにか物を贈るときの言葉ではないだろう。あきらかにホームレスが、お殿様に、なにか贈り物をするときの言葉ではないか。


いいかえると、これは贈り物をもらう側が、贈り物を差し出す側に、要求する表現でしかないだろう。ここにあるのは、対等な関係を維持するような表現ではなくて、本来ある身分格差を変化させないような、身分格差をあくまでも固定するような言い方だろう。さらにいえば、こうした表現を、贈り主に要求する受給者は、まさに、贈り物によって生きている有閑階級であろう。農民を庇護することもなく奴隷のように働かせて年貢という贈り物をもらって生きているお殿様にとって、なにもしないで贈り物をもらうだけの自分が、贈り主に対して劣位になる、あるいは劣等性を意識しなくてすむように、つまらない贈り物、口汚しを、もらってやっているのだと考えることによって、身分格差を固定し、贈り物によって生ずる自分の劣位を意識しなくてすむ。そう思うと、封建制の暗黒社会がみえてくる。


通常の敬語は、対等な関係を前提としたうえで、相手を尊敬したり、へりくだったり、対等の関係が崩れないようする手段である。ところがこれがマックス敬語になると、前提となる対等関係が崩れてしまう。そこには、それこそ、昔の日本の身分社会や、封建社会のありようがみえてくる。マックス敬語にすることによって、言葉のなかに歴史が出現するのは、面白い――今回、マックス敬語は、敬語の不快面を露呈させてくれた。

*1:ちなみに、コントでは、問題の意図を理解しておらず、名高達男は、「すばらしいもの」と言えと激怒しているように見えたが。これはコント作家がバカばっかだからである。