支配からの解放/解放からの支配1


たとえば、なんらかの集団が、特定の人間、あるいは、特定のひとにぎりの人間なり集団によって支配されていたら、まあ牛耳られていたとしよう。当然、そのゆがんだ支配・被支配関係から脱却し、集団を解放しようと立ち上がる個人なり集団がいてもおかしくない。


それはそれでよい。専制支配とか、独裁体制とか、植民地体制とか、そうした支配からの解放をめざす運動が、しかし、解放者集団として歓迎されるのではなく、ひややかに迎え入れらたとしたら。さらにいえば、解放などされたくないという被抑圧集団が出てきたとしたら。それは解放者が、その善意と栄光の仮面の下に、いまひとりの独裁的支配者(支配者集団)を隠し持っていることを、見抜かれたからであろう。


解放の名のものとで行われる戦いは、真の解放をもたらすどころか、新たな支配・抑圧体制をつくってしまう。もちろん、どんな場合でも、そうなるとは限らないとしても、解放者が、解放者という名前の新たな支配者にすぎないことが見抜かれ、そっぽを向かれるとしたら。


今日が終戦記念日だから、大東亜戦争のことを言おうとしているのではない。欧米の列強に植民地支配されている東アジアの人々を、解放するための戦争が、新たな抑圧体制をもたらすものでしかなかったことは、東アジアの人々に見抜かれていた。


それはそうだろうと思う。もし私が東アジアのどこかの国の人間だとしたら、アジアの東の端に位置する日本人は、なんか怖い。日本人は、得体の知れないものをもっていて、狂気を秘めている、凶暴な暴力集団にみえる。日本人が、思いやりのある民族とか、他者と共存できる民族だとは、とても思えない。そんな恐ろしい日本人が、あなたたちを欧米の植民地支配から解放してあげますと語っても、誰が信ずるか。欧米の植民地支配よりももっと残忍で、狂気を秘めた抑圧体制がもたらされるにきまっている――もし私が東アジアのどこかの国か民族の人間でであったとしたら、そう思ったにちがない。


だから、こんなわかりきった話を、これ以上するつもりはない。問題なのは、あるいは嫌になるのは、解放という名のもとに、その実、新たな支配を確立しようとする、こんな大時代的な試みが、私の近くで起こっていることだ。日本英文学会においてである。


冨山(とみやま)太佳夫と、その一派を私は、冨山モンキーズ、あるいはTモンキーズと呼んでいる。

今後、モンキーズと表記する。「ティーモンキーズ」と発音してもいいし、「トミヤマ・モンキーズ」と発音してもいい。彼らは、これまでの非民主的で、不平等を温存してきた日本英文学会の体制を改革して、民主的な機構にするのだと、構築=解体をすすめている。しかし、多くの日本英文学会の会員は、こうした動きには冷ややかであり、また今後、いよいよその冨山支配体制が、そのあさましい姿を露呈させるにつれて、むしろそっぽをむかれてゆくだろう。不平等をなくし民主的な体制にするのは、けっこうなことである。しかし、その民主的な体制を、冨山もしくはTモンキーズが、牛耳るとしたら、せっかくの改革も意味がない。あらたな抑圧体制が構築されるだけである。


このことは多くの会員がわかっているし、これからわかる会員もでてくるだろう。植民地体制からの解放の名のもとに、新たな植民地体制を構築するのは、過去の歴史においてはごくふつうのことだったが、それがいま、日本英文学会においておこなわれようとしているのだ。


TあるいはTモンキーズの主張はこうである。日本英文学会は、1)これまで特定の学閥に牛耳られてきた。2)若手研究者が正当な評価を受けることなく、抑圧されてきた。この2点である。この状況を打破して新体制を作る必要があるというわけだ。


1)特定の学閥というのは、東大のことである。では、東大関係者が、東大以外の研究者の研究を阻害したり、不正をはたらいてきたか、証拠をみせろと言ってやりたいところだが、そんな証拠はない。たぶんTモンキーズの主張では、歴代の日本英文学会会長が、みんな東大の教授ばかりだということだろう(実際は、そうではなく、他大学の教授が会長になったこともあったが、ただ、圧倒的に多いことだけは事実である)。しかし大昔はいざしらず、近年は選挙によって会長は決められているのであって、特定の学閥が会長職を牛耳っているわけではない。それに会長職は、基本的にお飾りである。歴代の会長がやってきたのは、このお飾り職において、いかにして個性をだせるかであって、つまりは、権力などないのである。


しかし正当な選挙でも、東大教授が会長になることは多いし、それが学閥として受け止められ、そうした体制に反発する他大学の関係者がいて全然おかしくない。そうした体制に反発する人たちは、最初から日本英文学会の会員にならない*1。日本英文学会の会員は、全員加入ということではないので、そのなかで特定の学閥が支配しているということはない。特定の学閥関係者か、そうした学閥の人間が執行部にいても、とくに不利益もこうむらず、問題もないと思っている研究者が会員になっているだけなので、特定の個人の横暴なり暴挙はあったかもしれないが、学閥ぐるみでそういうことをしたことはない。


この学閥問題だが、Tモンキーズ発祥の地であり、またTモンキーズが君臨している関東支部では、支部の執行部を決めるときには、公平な選挙をおこない、さらに、学閥のかたよりがでないように調整するのだと冨山は主張していた。それはおおいにけっこうである。公平性の原則は守るべきである。偏りがあってはいけない。


だがTモンキーズの皆さん。いくら大学の先生をはじめとする教育者や研究者が世間知らずだとはいっても、彼らはバカではないよ。公平にかたよりのない人事をしているというTの主張だが、結果的に関東支部をTモンキーズで支配し、関東支部において、Tモンキーズに参加しなかったり、Tモンキーズのやり方に批判的だったりすると、その会員にはなにも声がかからない。冷遇される。学閥の偏りをなくすという美名のもとに、Tモンキーズ支配が公然とまかりとおっているのである。それに気づかないとでも思っているのか、TとTモンキーズどもは。


だから、Tモンキーズたちは、これまでの偏りのある組織と運営を打破して、もっと開かれた学会にし、これまで日本英文学会にそっぽをむいてきた人たちを会員に加えようとしているのかというと、実はそうではない。そもそも排他的な彼らが、会員を増やそうなどと思っていないのだ。Tモンキーズたちは、改革によって、会員が増えるどころか、減ることを覚悟している *2。さらにいうなら、会員が増えて、会員が多様になると、Tモンキーズの影は薄くなるはずである。しかし、彼らはそれを一番恐れている。むしろ現状の支配体制を維持したいのである。


そこで、Tモンキーズ*3は、学閥問題ではなく、若手研究者の解放と保護と育成を言い出してきている。年寄りたちによって、若手研究者たちが抑圧されてきた。彼らを解放し、彼らを育成する体制につくりかえねばならないというわけだ。


だが、若い人たちのためにという口実は、もう飽きた。日本の政治においては、近年話題になった小泉チルドレン、あるいは小沢ガールズ(最近は、小沢チルドレンという言い方になったようだが)、どちらも、若者の代表となって、若者のために戦うというかたちで勝利したようにみえて、もののみごとに落ちぶれた。小泉チルドレン小沢チルドレンにつづく、冨山モンキーズ、おまえたちの没落はもうはじまっているのだよ。あるいは冨山にこういうほかはない。若い人たちをこれ以上、利用して、みずからの権力と権威をにぎろうとするのは、みっともないからやめたほうがいいと。


あるいはTモンキーズの連中は、彼らのサル山の大将は、自分たちを利用などしていない。自分たちのほうがT先生を利用して、自分たちにとってよりよい学会にしようとしているのであって、T先生は、自分たちに利用されることを望んでいるのだというかもしれない。しかしTモンキーズに対して、私は、心から警告しておく。冨山太佳夫は、意図的であれ、無意図的であれ、若手に利用されるような、そんなお人よしでもなければ、やわな人間ではない。若手が冨山を利用することなど絶対にできない。冨山は、そんな軽い人間では絶対にない。冨山を利用しようなんて若手がいたら、その若手は、内臓だけでなく骨までしゃぶりつくされて捨てられるのがオチである。


こうしたことを、これからまた、過去にさかのぼって記事を補填もしながら、語っていこう。これはその序説である。

*1:日本英文学会において、東大教授が会長になりやすい体制に嫌気がさして、参加しない大学関係者も多い。そうした大学では、学生に対しても、日本英文学会で研究発表するくらいなら、海外の学会で研究発表せよと、叱咤激励していると聞いている。こうした状況を冨山パラノイア軍団はまったく理解していない。

*2:会員が減るといっても、かなり大幅に減るのである。私は、冨山が会長になったら、冨山が会長になっている2年間は、日本英文学会を辞めるが、それによって会員が一人減るというような冗談のような話ではなく(私が冨山会長下では絶対に会員にならないという話は冗談ではなく、本気だが)、もっと多くの会員が減るはずということである。

*3:なお関西にもTモンキーズはいて、これは「タマイ・モンキーズ」と発音し、関東のTモンキーズと連携を深めているようだが、関西のことはよくわからないので、これはたわ言として無視してもらってもいい。