支配からの解放/解放からの支配2

誤解のないようにいえば、現在、日本英文学会ですすめられている改革は、体制を民主的なものにするという内的な圧力から生じたものではなく、法律の改正によって、やむなくしていことである。その実際の矛盾と問題点は、今は問わない。


問題は、Tモンキーズたちが、この新しい体制を、まさに牛耳ろうとしていることになる。なおこう書くと、抑圧体制を批判するものは、次の抑圧体制の首謀者になるという、前日の記事を思い出す方もいるかもしれないので、私に限ってはそういうことはないと断言しておく。私にはモンキーズはいない。そして当然のことだが、これは私が孤独好きで友人もないから、モンキーズがいないとうことではなく、誰であれ、まともな英文学会会員だったら、昔はどうであれ、いまは、そんなモンキーズを引き連れて行動はしないということである。


あるいはこういってよければ、冨山は、関係のない人間ですら、モンキーズに引き入れてしまう。そうして自分は、お山の大将であるボス猿であることを誇示したいと思うかもしれないが、そうした誇示をすればするほど、冨山は、今以上に、人望を失い、疑いの目でもってみられるてしまうことを、私は残念に思う。うそ偽りなく。


たとえば、日本英文学会の評議会・大学代表会議において、新体制への移行手続きについて、会長から説明をうけたあと、最後に、出席者のなかで、冨山だけが拍手をした。ほかの出席者は、ただ会長の説明を神妙に聞いているだけだったのに、冨山だけが、拍手をして、会長ならびに事務局の労をねぎらった。このことは、その会議に出席していた私は、日本英文学会会員全員に対して、責任をもって報告する。おかしいのである。冨山のやっていることは。


いったいおまえは、どういう資格で、どういう立場で、会長に向かって(たとえ会長がおまえよりも年下だからといって)拍手をし、労をねぎらうのだ。会長と事務局がおこなった手続きのなかで問題のないのは、法律にのとって文科省の指導のもとでおこなう、選択の余地のない、誰がつくっても同じ組織づくりであり、それ以外の移行措置については、矛盾と問題だらけなのに。そんなものにどうやって拍手するのだ。またすでに述べたように、出席者のなかで、新組織作りや改革案について強い関心がある者は、そんなに多くない。また当日、誰も反対意見を出さなかったのだから、すべてを執行部にまかせて一任するということである。で、どこにも拍手など入り込む余地がない。


この異様な拍手のあとに、さらに異様なのが、懇親会の席上における冨山のスピーチだった。懇親会におけるスピーチ(乾杯の音頭も含む)には、私は出席していないので、伝聞情報だが、通常、こういう場合に、スピーチをするのは、1)会長、2)理事、3)開催大学の代表者か関係者、4)関西支部の代表か関係者、5)高齢の年長者であると決まっている。


ところが上のどれにも該当しない冨山(冨山よりも高齢の有名な英文学者はその場にいた)が、長々とスピーチをしたのである。この異様さは、出席者の脳裏に深く刻まれたものと思う。


これに関しては、説明をうければ、なるほど、それでは、冨山がスピーチをしても、おかしくないという事情があったのかもしれない(冨山はスピーチを用意してきたらしい)。そういう事情があったとしても、問題は、それが参加者には説明されなかったことだ。たぶん冨山先生は、偉いので、わざわざわそんな説明などしなくとも、みんながひれ伏すと思ったのだろうか。みんなが乾杯あるいは食事をする手を止めて謹聴すべき、スピーチを、冨山大先生からいただける栄に浴すると、Tモンキーズたちは思ったのだろうか。ヒトラーと親衛隊みたいなものだ。


これは、非民主的で、特定の学閥に牛耳られ、若者が抑圧されている学会を、解放せねばならないというTとTモンキーズが、その実、学会を私物化しているといっても過言ではない。この勘違い、パラノイア、うそつき男は、学会を解放するといいながら、学会を私物化し植民地化しようとしているのである。こんなものが解放でも民主化でもない。冨山とTモンキーズたちは、学会から出て行ってもらいたい。彼らだけで新学会でもサル山でもなんでもいいから立ち上げればいいのだ。