Jennifer’s Body 1


本日は大学ですべき仕事があったのだが、猛暑の中、地下鉄に乗り込んだら、必要な書類を忘れたことに気づいた。引き返すのも面倒で、また本日どうしてもしなくてはいけないことでもなく、まあ、大学に行けば、やることは山のようにあるのだから、とりあえず大学に行こうとしたが、大学の最寄り駅では降りることなく、そのまま銀座駅まで行くことにした。この猛暑の中、時間帯もちょうどよく映画館で涼むことにした。チケットを買うとき、窓口で座席表を示され、あいている列とか席を示されるかと思ったら、なにもいわれない。どこでもいいかというと、まだ席はほとんど埋まっていないから、好きなところをどうぞといわれた。ウィークデイの昼間とはいえ、人が入っていない。


しかし結論からいうと、映画『ジェニファーズ・ボディJennifer's Body(2009)、これはえらく面白い。東京では新宿武蔵野館とTOHOシネマズ・みゆき座の2館でしか上映していないのは、おかしいくらだい。人が入っていないのは、ほんとうに惜しい。猛暑のなかで見るには、実に適切な、お勧めのエンターテインメント映画である。


そもそもこの映画に着目したのは、日系の女性監督カリン・クサマKalyn Kusama(1968-)の映画だからだ。カリン・クサマの映画は、全部みている――とはいえ評判になった『ガールファイト』Girlfight(2000)から『イーオン・フラックス』AEon Flux(2007)と、今回、まだ劇場公開三作目だが。『ガールファイト』は親の反対を押し切ってボクシング選手になる10代の黒人の少女の映画で、リアルな格闘シーンとボクシングの対戦相手以外にもいろいろなものと戦う若い女性の苦闘の生活を力強い演出でサンダンス映画祭で監督賞とグランプリを受賞(日本でもDVDが出ている)。また主演のミシェル・ロドリゲスに惚れた私は、彼女の出ている映画を全部ではないが、たいてみている。最近作は『アバター』。あのヘリコプターもどきの女性パイロットを覚えているだろうか。ジェイムズ・キャメロンが好きな強い女タイプで、彼女は、カーペンター監督の『エイリアン2』のバスケスと同様、最後まで抵抗して、壮絶な最期を遂げる。


『イーオン・フラックス』は、そのアニメ版のファンであり、アメリカからアニメ版のDVDを購入している私としては、残念ながらクサマ監督の実写版『イーオン・フラックス』を、どうしてもアニメ版と比較してしまうので、よい判定者ではないので、ノーコメント。ただ、今回のジェニファーは、アニメ版イーオン・フラックスをひきづっているようなところがあるが、それはまたあとで。


残念ながら、映画会社は、カリン・クサマ監督の映画として売るのではなくて、『トランスフォーマー』の女優ミーガン・フォックスMeagan Fox(1986-)が悪女役で登場するということを売りにしている。まあべつにまちがいないのだが、監督のことも宣伝してほしかった。


TOHOシネマズ・みゆき座というのは、東京宝塚劇場の地下にある映画館で、同じ地下にあるスカラ座というのは、大きな豪華な劇場である(あまりそこでは映画をみたことがないのは、自宅近くの映画館で見ることができるようなロードショー作品の上映が多いからである)。このスカラ座のスクリーンの奥にあたる空間にみゆき座がある。スカラ座に比べれば、小さいが、それでも都内の映画館としては大きなほうである。この映画館、スカラ座と同じ平面上にありながら、なにか場末感が漂う、とってもへんなところだある。場末というのはちがうかもしれない。そうスカラ座の奥にある倉庫のなかで映画を見ているようだといったら、わかっていただけるだろうか。


スカラ座では『借りぐらしのアリエッティ』を上映している。開映まで時間があったので、売店アリエッティ・グッズを物色。あれこれ迷ったあげくにカードとかクリアファイルといったところに落ち着いた。姪へのお土産である。最後まで迷ったのは、アリエッティの洗濯ばさみ。アリエッティが人間と同じサイズだったという設定で、髪をとめている洗濯ばさみがグッズになっている。かなりでかい。980円もする。まあ、使い道がないんで、やめた。それに舘ひろしのようなおっさんが入っている姪が、喜ぶとも思えない。ただし、まだかろうじて残っている女の子の部分では、アリエッティ・グッズは気に入ってくれると思うのが。カウンターでこれを買った。娘か孫のお土産を買ったこのほほえましいオヤジが購入した映画のプログラムでは、女子高生のコスプレをしているようなミーガン・フォックスが唇から血を流している。


最初、この映画は、学園物なのか、ホラーなのか、判断にまよった。結論からいえば、その両方だった。ホラー映画ファンなら、多くのホラー映画からの意図的な引用をみることができるだろう。どこかでみたようなホラー映画の仕掛けが数多く登場するのだが、しかし、それは意図的に引用の織物をたらんとしているところがあって、同じことは学園ドラマとしての作品についてもいえる。そしてこのことからみえてくるのは、この映画が仮想敵としている映画ジャンルである。


プログラムのなかで誰も触れていないのだが、ホラーあるいはオカルトと、学園物との合体の近年の例としては、『トワイライト』に代表されるような吸血鬼=学園物だろう。『トワイライト』はヴァンパイアー、この『ジェニファーズ・ボディ』は、悪魔と、悪魔に乗り移られたサキュバスの世界。『トワイライト』は、スタイリッシュな映像と、イケメン男優の活躍によって、邪悪かつ暴力的な世界から毒気を抜き、女子高生でも親しめるような世界を構築することに成功するのだが、しかし底流にあるのは男性優位の姿勢につらぬかれた伝統的な男女観でしかない。そうした腑抜けた映画に、この映画『ジェニファーズ・ボディ』は鉄槌を下すとまではいかなくとも、アンチをつきつける。この映画は『トワイライト』よりも、はるかに残酷で血なまぐさく、はるかに闘争的なエネルギーと憤怒の感情に満ち、憎悪と復讐の果てに真の敵がなんであるかを見出すのである。そしてそれをミーガン・フォックスとアマンダ・セイフライドAmanda Seyfried(1985-)(ドイツ系の彼女の姓名は、正式にはサイフリッド(Sigh-Frid)なのだが)の二人の女優の力強い演技が支える。ミーガン・フォックスとアマンダ・セッドなのだが)の二人の女優の力強い演技が支える。ミーガン・フォックスとアマンダ・セイフライド――私が見た中では、これは二人の女優のいまのところベストである。