ローマ人の物語

9月5日の講演には、映画の一部を見ながら話すということだったので、いくつかDVDを持参した。そしてその中の一枚にディスクが2枚入っていることを、当日、DVDをスクリーンに映してもらう係りの先生から指摘していただいた。実はそのDVDは、見当たらなくなっていていたもので、見つかってありがたかったのだが、同時に、ほっと胸をなでおろした。エッチなDVDじゃなくてよかった。


もし、私が持参したDVDのなかに、まちがって、そんなエロDVDが入っていたら、もう名古屋どころか、日本中、どこにも行けない、いや誰にも顔見世できないところだった。紛れ込んでいたのは数年前のBBCの連続ドラマ『ローマ』のディスク(エピソード1と2)だった。私は外国のテレビドラマはあまりみないし、テレビ・ドラマのDVDも時々レンタルをするが、基本的には買わない。この『ローマ』は、廉価版が出たの買ってみた。ディスク5枚で1000円である。安い。


この連続テレビドラマ、イギリスのドラマの例にもれず、出てくる人物、みんなあくどい人物ばかりでうれしい。シーザーも、ポンペイウスも、ブルータスも、アントニーも、オクタヴィアヌスも、みんないやな奴ばかり。陰謀渦巻く共和制末期のローマを描くドラマや映画の定番で、全員悪人である。またこれもイギリスのテレビドラマの例に漏れず、女性のヘア丸見えである。セックスシーンはないが、全裸で、ヘアのぼかしなしの女性の裸体が見られる。この日本版DVDでもぼかしない。


ということは、この『ローマ』は女性の全裸、ヘア丸出し映像がけっこうあるということがわかっていれば、私がそれを目当てに見ていると思われると、ちょっと恥ずかしいのだが、しかし、この連続ドラマは、AVではない。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を授業で扱いたくなった。


以前、ピーター・ウィアー監督の『マスター・アンド・コマンダーMaster and Commander(2003)を見たときに、18世紀から19世紀初頭の頃のイギリスの海軍軍艦のなかでの話ということもあって、濃厚なゲイのテイストに圧倒されたことを覚えている。登場人物は男性だけで、女性の人物はいない。艦長のラッセル・クロウ、船医のポール・ベタニーというコンビは、『ビューティフル・マンインド』から継承されているのだが、二人の友情あるいは友情を超えたゲイ的関係が興味深く、また心地よく、そこの少年Max Pirkisが絡んできて、ラッセル・クロウとポール・ベタニーがゲイ夫婦(両親)であり、そこに少年(息子)との濃厚な関係が成立し、まさにゲイ・ファミリー・ロマンスであった。


そう、ゲイ・ファミリーのユートピアがそこに出現していたのだ。事実、最初のほうで負傷して片腕を切り落とした少年が、また、けなげで、ほんとうにかわいかった。片腕にでも立派な提督になったとして、ラッセル・クロウの艦長が、その少年に、ネルソン提督についての本を見せるのも面白かった(ネルソン提督は負傷して、その生涯の大半、片腕であった)。あるいは船医のポール・ベタニーとともに地質調査に出かけるときの、純真無垢なかわいい姿は、いまも忘れていない。あんな息子がいたらいいのにとも思った。


その少年と、なんと『ローマ』で出会った。成人前のオクタヴィアヌスを彼が演じているではないか。最初、既視感があったのだが、誰だかわからなかった。調べたらオクタヴィアヌスを演じているのは『マスター・アンド・コマンダー』のあの少年Max Pirkisだった。しかし、このオクタヴィアヌス、なんちゅう嫌な人間じゃ。再会が、このような残酷なものだったと、誰が予想しただろう。