パブリック・エネミー

鈴木宗男議員の最高裁への上告が棄却され、刑が確定し、失職して収監されることになった。辻本清美議員から国会で「疑惑の総合商社」といわれた頃は、まさにパブリック・エネミーN0.1で、きわめてあくの強い政治家だった。しかし起訴、拘留され、自民党を離れて新党を立ち上げて当選してからの政治家としての活動は、めざましいものがあり、日本を代表する一流の政治家と言ってよいものがあった。


わけのわからないタレント議員や、なんとかチルドレンと呼ばれている泡沫議員とは、明らかに一線を画す、優秀かつ有能な政治家になった。拘留されて一皮剥けたといえるかもしれない。失職直前は衆議院外務委員長という要職にあったことも、政治家としての有能さがうかがえる。


死刑囚は刑が確定してから善人になる(刑が確定する前だったら極刑を逃れるための演技の疑いもあるのだが、刑が確定してからのことである)。刑務官の直面する矛盾は、そうした善人になってしまった死刑囚を死刑にせねばならないことである。犯罪時と刑が確定するまでの長い時間、そして刑が確定してから執行されるまでの時間は、人間をかえる。死刑の矛盾と残酷さは、凶暴化した犯罪者を犯罪現場で取り押さえ、その場で死刑に処すのではなく、時間の経過によって変貌した人間を、犯罪者ではなくなってしまった人間を処刑することにある。


今回の鈴木宗男事件も、こうした事実に無頓着、無関心な司法のありかたを反映するものであり、誰もが憤りを覚えてしかるべきものである。鈴木宗男は、起訴された頃は、国民全員の反感を買っていたかもしれないが、その後、彼は人望もあり、多くの人々から信頼され、多くの人々の支持を集める政治家にかわった。そうした事実にもかかわらず、どうせ国民に嫌われているだろうからと、起訴から長い時間がたった今も、なにも変化していないはずだと、そう判断している、救いがたいほどの石頭で、柔軟な思考のできない司法当局を、私は激しく憎むし、国民全体が、こうした司法のありかたを厳しく批判すべきかと思う。


検察は、裏づけ調査をしないで、ほんとうに勝手にシナリオを書いていることを、今回、厚労省元局長村木厚子事件から私たちは思い知ったが、鈴木宗男事件に関しても、同様な、まさに「国策捜査」と起訴が行われているとみていい。実際、民主党の代表戦がらみでの上告却下であるとする説もある。


たとえ失職しても、検察に対し徹底して批判するのが鈴木宗男の使命であり、そのために私たちは極力、応援すべきである(たとえ私としては、鈴木宗男イスラエルパレスチナ観については反対するとしても)。頑張れ鈴木宗男。検察の/という悪を暴け。