尖閣諸島


こうした領土問題が起こると、いつも思うのだが、またこのブログでも何度も書いているのだが、私の研究室は、英文の尖閣諸島みたいなものである。なにしろ私の研究室は英文の事務室や先生方の研究室のあるフロアにはなくて、一階下の独文のフロアに位置しているからだ。


もともと私の部屋は、英文が演習室として使っていたもので、私もその演習室(現、私の研究室)で、授業をしたことがある。この演習室で授業を受けた学生は、もう卒業なり修了して、いまでは誰も在籍していないので、かつてここが演習室であったことを知る在校生はたぶんいなくなった。


その演習室が、ゆえあって現在の私の個人研究室になった*1。だからこの私の研究室は、英文固有の領土であり、領土問題は存在していないのだが、独文の人たちは、自分たちのフロアにどうして、英文の教師の研究室があるのか解せないらしい。独文の学生で、おまえは英文のフロアに帰れと思っている者はけっこういるのかもしれない。くりかえすが、この私の研究室は、英文固有の、英文が昔は演習室として使っていた部屋であって、領土問題は存在しない。


ただ、いまのところ独文は弱っているので――量的に弱っているのであって、質的に弱ってはない、むしろ質的に弱っているのは英文かもしれないのだが――、また独文の先生方は過去の経緯をご存知なので問題はおこりそうもないので、ただ、時折学生が、なんだおまえは、独文領土内にコロニーをつくりやがって植民地主義者あるいは英文帝国主義に加担しやがって、それでもサイードの翻訳者かと陰口をたたく程度のことで収まっているが、独文が量的に強くなると、領土問題として発展するかもしれない。



とはいえもちろん尖閣諸島問題に比べれば、私の研究室問題など、どうでもいい問題だが、深刻なのは、こうした二国間の問題である。中国は、国内世論、政権内の問題、国際社会への訴えなどから、意図的に強く出ているのに対し、日本側は、領土問題ではなく国内問題として手続きにのっとって処理をしているだけであり領土問題として処理していないとなると、完全にすれちがったままである。東京のどまんなかで暴れた中国人を逮捕して取り調べているだけなら中国側も文句はいわないだろうが、尖閣諸島で起こった問題は、やはり領土問題への配慮は必要だろう。


またこうした問題が起こったとき、声高に叫ぶ中国の官製デモの参加者たちも、また相手にしない日本政府当局も、考慮していないのが、中国在住の日本人であり、日本在住の中国人のことである。彼らは外国人として暮らしたり働いているわけで、弱い立場にある。そうした彼らに、直接危害が及ぶ確率は低いとしても、周囲の敵意を肌で感じ取るようなことは多いと思うし、いじめ、おどしなどが起こる可能性もたかい。恐怖は魂を食べる。そうしたことを、自分たちの仲間が、ある意味、人質にとられていることを意識して、主張なり行動すべきであろう。こちらが、どんなに強気に出るとしても、人質がいるのといないのとでは、強気の出方も違うと思う。仲間の恐怖のことも、常に念頭に置いたうえで慎重な(臆病なということではない)対応が必要だろう。

*1:こういうことはよく行われていて、数年前、べつの学科のある先生の個人研究室を訪れることがあったのだが、そこへ入ったとたん、青春の思い出(まあ苦い思い出しかないのだが)がよみがえってきた。そこは、私が院生時代に授業を受けた演習室だったのである。現在の英文研究室は、私が院生だった頃には別の建物の中にあった。