本日の映画1


本日は土曜日だけれども大学で用件があり出かける。でかける前から嫌だったし、案の定、後味の悪い結果になった――少なくとも私にとっては。まあむしゃくしゃするので映画をというわけで、東宝シネマズのネットチケット購入した。こうしておけば、途中で気が変わって、そのまま帰宅するということもない。映画を見なくても、お金は返ってこないだから、貧乏性の私は映画に行くしかない。なお東宝シネマズのネットチケット購入は、手数料を取られないのがうれしい。近くのワーナー・マイカル・シネマズはネットでチケットを購入すると手数料をとられる。感じ悪すぎ*1


少し早めに言って自動発券機でチケットを購入。するとロビーから人がぞろぞろと出てくる。前の回の上映は終わったのかと思いつつ、用件があるので、ひとまず映画館を離れる。用件をすませて映画館のロビーにもどると、人がぞろぞれでて来る。出てくる人は、こちらのほうが多い。ということは、10分くらい前にみた、出てくる観客というのは、エンドクレジットが終わるまでおとなしく座っていないで、まっさきに出てきた先発隊だったのだ。そして先発隊には年配の観客が多い。年寄りが多い。どうして年寄りはエンドクレジットが終わる前に暗い館内から外へ出ようとするのだろうか。彼らの映画鑑賞人生には、エンドクレジットを見ないでささっと帰ることが義務になっているのだろうか、もしくはそれがかっこいいという美意識のようなものがあるのだろうか。不思議である。


さて映画について語るまえに簡単な覚書を。


1)黒木メイサ/森雪は、もとのアニメとイメージが大きく違うことで賛否両論があるようだが、黒木メイサの森雪は、『宇宙空母ギャラクティカ』(新シリーズ)のスターバックだと思った。『ギャラクティカ』の旧シリーズでは、空母から発進するヴァイパー機のパイロットであるスターバックは、テレビ版『Aチーム』でフェイスを演じていたダーク・ベネディクトだったが、それが新シリーズになった『宇宙空母ギャラクティカ』では、スターバックは女性になった。ヴァイパー・パイロットの女性は、まさに黒木メイサの森雪が受け継いだともいえるだろう。


2)戦艦大和には悲劇のイメージがつきまとう。しかし第二次大戦末期に、片道の燃料を積んで沖縄に特攻した戦艦大和は、もし途中で、アメリカ軍の艦載機の猛攻を受けて沈没しなかったら、どうなっていたかと考えると、空恐ろしくなる。つまりもし沖縄に到達したらどうしたのかというと、大和を海岸に座礁させる。そうしてその46センチ主砲で砲撃を加えるというもの。46センチ砲の威力は絶大なものがあっただろうが*2、巨大戦艦を、人工的に座礁させるのは至難の業だろう。船体が傾いて座礁したら、主砲も打てなくなるのではないか。到着しても傾いて座礁し、主砲も打てず、そのまま陸と空から猛攻撃をうける。無謀などころか、よくこんな作戦を考え付いたものだと思う。そもそも沖縄まで到達はできないと考えていたのではないか。最初から、作戦をすべて実行するつもりなどなかった。実行などありえなかった。


では沖縄に特攻して何を守ろうとしたのか。安物の特攻映画で示されるような、国民を守るため、愛する者を守るためなどではない。何を守るのか。海軍をである。海軍軍人が、ひいては日本の軍人が、いかに命をかけて戦ったのかを歴史に残すためである。負けることがわかっている戦いで、勝てる作戦などないのだが、しかし理屈のうえでも勝てる作戦、もしくは一矢を報いる作戦は必要なかった。無駄な作戦、負けるとわかっている作戦のほうが、意味があった。悪あがきはしない。いかにいさぎよく散っていたったかを、後世に示す。そのために作戦など考えていたら、いさぎよくない。勝とう、一矢を報いようとしたらいさぎよくない。国民を守ろうともしてない。ただいさぎよく散る。それが軍隊を守ろることにつながる。これを私たちはわすれてはならない。軍隊は、国民ではなく、みずからを、軍隊を守ることを最終的に優先するのである。


3)堤真一が映画の最初のほうに出て、その後すぐに死ぬ(みずからが艦長として指揮していた宇宙戦闘艦と運命をともにする)ことに、早すぎるとの違和感があるようだが、私にとって驚きなのは、堤真一が艦長として登場している戦闘艦の艦名が「ゆきかぜ(雪風)」であること。また沖田艦長の戦死した息子が乗艦していたのが「ふゆづき(冬月)」であるということ。「雪風」と「冬月」――ともに沖縄水上特攻のとき大和に随伴した駆逐艦で、沈没せずに帰還した、幸運(?)あるいは武運に恵まれた駆逐艦であった。ところが同じ艦名の宇宙戦艦が映画の冒頭であっけなく爆破されてしまうとは。


4)コスモゼロは前進翼である。宇宙を飛びまわるのに、前翼機も後退翼もないのだが、古代/木村の乗機コスモゼロは前進翼であることは興味深い。前進翼(たとえば5本の指で、人差し指と中指と薬指を伸ばして、そろえて閉じ、親指と小指を外に広げると、前進翼機のかたちになるので、そういう機体と考えていただければいい。前進翼後退翼の原理は基本的に同じである。二等辺三角形の頂点のほうに胴体がつくか(これが後退翼機になる)、二等辺三角形の底辺の端に胴体がつくか(これが前進翼機)のちがいである。空気抵抗の軽減は同じ。ただし前進翼機は空気抵抗によって翼がねじれてしまいやすいので、ねじれに強い材料が必要とされたが、複合材料の登場によって、それが可能になった。


そこまではよく、前進翼は21世紀の戦闘機の姿だと思われてきた。アメリカの近未来SF映画『ステルス』では、アメリカ海軍が開発したとされる架空のステルス戦闘機が登場するが、そのどれもが、前進翼で、今後、前進翼が、戦闘機の主流のかたちになるのだろう予感させるものがあった。実際、映画は驚異的なCGを使って、そんな戦闘機が実在するかのようにみせていた。その技術には圧倒された。


いまや前進翼機は未来の戦闘機の形ではなくなった。ステルス性が低いからだそうだ。なんという皮肉な結果に。『ステルス』という映画で活躍した前進翼機に、ステルス性がなかったとは。(つづく)

*1:その後、近くのワーナー・マイカル・シネマズはネットで手数料なしでチケットが購入できるサービスをはじめた。来年2月まで。

*2:結局、最後まで海軍は大和を46センチ砲の砲台とする発想から抜け出せなかった。巨大戦艦は、巨大砲のプラットフォームであって、巨艦が縦横無尽に活躍することは最初から計画になかったということだろう。