めだかの学校

 小田原市のホームページには、ここがめだかの学校ですとして番地が紹介されている。神奈川県小田原市荻窪453−2番地である、と。ホームページによると「童謡『めだかの学校』は、童話作家の茶木滋さんが作詞されました。昭和25年、NHKより依頼を受けた茶木さんは、終戦当時の荻窪用水のこの周辺で、息子の義夫さんと買い出しの途中で交わした会話を基にしてこの詞を作られたそうです。荻窪用水とは、江戸時代に川口広蔵という人が約20年かけて早川から荻窪に水を引き込んだ用水路のことです」とある。そして地図で具体的な場所が示されている。
 英語教員の私は、「めだかの学校」と聞くと、誤訳めいたものを感じてしまう。「めだかの学校」というのは、イギリスかアメリカ原産の歌と思い込んでいた。「めだかの学校」を英語に直訳すると“a school of killifish”―これは「メダカの群れ」という意味。ためしに英語辞書を調べてみてくだされ。英語のschoolには「学校・学派」という意味のほかに、「魚の群れ」という意味がある(語源的に違う二つの語が一語になった結果)。ほんと。
 小川のなかのメダカの群れを「メダカの学校」と表現するのは、実に卓越したメタファーと評価したいが、しかし、これは “a school of …fish”というような歌のタイトルあるいは歌詞のフレーズがあり、昔それを、「…魚の群れ」と訳さず、誤訳して「…魚の学校」と解釈し、それが「めだかの学校」になったのではと、勝手に考えていた。
 もちろんこれは事実無根の妄想だったわけだが、しかし、作詞家が、「めだかの学校」という題名とか歌詞を考えるか思いついたとき、英語表現の影響は皆無だったのだろうか。「めだかの学校」の所在地は、小田原にあるとともに英語表現のなかにもないのだろうか。茶木さんは息子と何を話したのだろうか。