インファナル・アフェア 竜田揚げ終曲無間篇


いただいたメールによると、

家の母親は「日清製粉から揚げ粉」を使ってから揚げを作ってました。
〔それがやがて〕高校・大学くらいになって、
しょうがとお醤油とお酒に鶏肉をつけこみ、
かたくり粉で揚げる、という本来は竜田揚げと言われたものに変わりましたが、
それまでは「粉をつけるだけ」の「日清製粉から揚げ粉」でした。
それを思い出して日清製粉のHPを見てみたら、
〔中略〕
最近は醤油や片栗粉が入った「中華街のサクサクから揚げ粉」が
出ていました。
この変遷にも、「から揚げ」の定義が変わっていった過程が
見られるように思います。

なるほど。まあ、から揚げ・空揚げの立田揚げ化のなかで
しょうがやニンニクで味をつけるのは、
本来の竜田揚げではなく中華風だから
唐揚げとして差異化をはかったということでしょうかね。


またこうもあります。

最初、ブログを拝見した時は、
「どうでもいいじゃーん」と思ったりしたのですが、

悪かったね。


いつ頃から一般家庭でから揚げが作られるようになったのか、
〔中略〕なども考えると、中国との交流史や、
家庭へのちょっと凝った料理のレシピの普及
(家庭料理のグローバル化。これはバブル期が一つの
画期かと思いますが)なども含め、
ある種の戦後文化史になって面白そうですね。

たしかにそうですが、そこまでは考えていなかった。
まあそういうことになりますよね。


こちらの違和感はただ、所さんの番組の説明がおかしい
大橋美歩アナはしゃぎすぎ)ということだったのですが、
いまになって思うと、説明はまちがっていない、
ただ現実のから揚げが、昔のような空揚げになってなくて、
唐揚げ化し、竜田揚げと同じになったというこの
現実こそが、混迷の淵源であり、そこに違和感が
生じていたわけです。


ただそれにしても所さんの番組、たとえば
秋田美人というのは、
どうして色白で美人なのかという説明に
コーカサス地方の血が混じっていたという説明。
え、それなら秋田県の女性は、モンゴロイドではなくて、
コーカソイド、つまり白人か? 欧米か?
と違和感を覚えたのですが、
所さんの番組が第二のあるある事典になる日は近いでしょう。


ただそれにしても

あと、私がはじめて食べた「竜田揚げ」というのは
給食で出た「鯨の竜田揚げ」でした。あれはおいしかった〜。
そんなことも考え合わせると、元々、竜田揚げ、というのは
鶏ではあまり作られていなかったのではないでしょうか。

とあるのですが、鶏の竜田揚げは後からできたものという
指摘はそうかもしれません。
そこは今後の課題として残しておくとして、
「給食で出た「鯨の竜田揚げ」でした。あれはおいしかった〜。」
とあるのですが、
ふ、ふ、ふ、
また私に喧嘩を売っていますね、この鯨ナショナリストが!


私の世代は給食をまずいと思っている世代だったので、
なにが出ても美味しい記憶はないのですが
「鯨の竜田揚げ」があったかどうか憶えていないものの、
鯨関連のものは、みんなまずかったですよ。


そもそも外国へ行って
この“whale eater”とか何とか言われて、
足元に唾でも吐かれた時、
鯨肉など美味しいともなんとも思っていないし、
食べることもない私の悔しい気持ちを想像してほしい。


いまや鯨を食べるというのは狂気の沙汰で
それを食べた過去も忘れたいし、
未来にも鯨は絶対に食べないと誓っている私にとって、
鯨を食べることを正当化しようとする
ナショナリストが痕を絶たないのは
ほんとうになさけない。
鯨が美味しければしかたがない。
美味しくないのに、鯨捕獲と鯨を食べることを擁護するとは、
おかしいじゃん。
マグロは美味しいと思うし、その捕獲が制限されて
マグロが値上がりしたり、品薄になるのは嫌だ。
しかし鯨はどうでもいいし、
世界中で鯨を食べるのを制限しようとするなら、
喜んで従いたい。なんの苦もない。
鯨を美味しいと思っている日本人がいてもおかしくないが、
美味しくないと思っている日本人も多いことを忘れないで欲しい。
ナショナリストへのメッセージじゃい。


付記1
昨年の12月23日にターキーを焼いたときに使ったコーンスターチがあったので、その袋をみたら、鶏肉にまぶして「唐揚げ」ができるとレシピが書いてありました。コーンスターチは片栗粉と同類だから、まあこれは可能なのですよね。


付記2
秋田県の女性にコーカサス地方の人間の血が混じっているという説明は眉唾ものだと思うが、でもなっとくできないわけではない。日本海沿岸地方と、太平洋沿岸地方では、つまり海が北にある地域と、海といえば南だという地域とは、住んでいる人間の人種が違うのではないかと思うことがある。以前、大学院の同級生と、その彼の出身地である糸魚川に行くことになり、そのとき、ここまできたのだからと、同級生の家に招待されたことがある。彼はふつうの日本人の顔なのだが、その父親(漁業関係者とのことだったが)にお会いしたとき、私はその顔を見て唖然とした。そこにいたのは、日本人離れした彫りの深い顔の人物で、まるでサミュエル・ベケットのような顔をしているではないか。日本海沿岸でサミュエル・ベケットに出会った驚愕の体験であった。人種が違う。