戦時下の思い出Q goes to war『キャタピラー』2


大正15年と昭和元年は同じ年である。昭和元年は数日しかなかったが、大正15年生まれの母は、昭和元年生まれとしたほうが年齢が計算しやすかった。年号からひとつ引けば満年齢になる。母からは戦時中の思い出をよく聞かされた。成人になる直前に終戦を迎えた母は、山口県の漁村で暮らしたが、近くに海軍の基地(現在では航空自衛隊の基地となっている)があり、女学校を卒業してからそこで事務員として働いていたこともあって、田舎での暮らしながら基地で空襲を体験している。


その母の思い出のひとつに、出征したが上官に歯むかって除隊させられた若者の話があった。まあ母よりも年上で二十代後半の若者は、戦地で、後方の安全なところから命令を下している上官に怒りがわいてきて、おまえが先頭に立って突撃しろと銃を向けた。当然、営倉((「営倉」がなんだかわからない人は、Wikipediaで調べて欲しい。陸軍の懲罰房のことである。))に入れられ、たぶん軍法会議にかけられ前科者となって帰ってきたその若者と、母や母の仲者の女の子たちは仲がよくて、戦地の話をいろいろ聞いたらしい。まあ、その若者は、村では前科者として白い目で見られ、結婚相手にも恵まれず、結局、一家全員が村を離れることになった。ありがたちなことである。母にとって、その前科者は、命令だけ下して自分は何もしない上官に歯向かった英雄であった。


もちろん私は当時の軍隊の組織について詳しいわけではなく、母から子供の頃に聞かされたうろおぼえの話なので、細部については自信がないが、海軍基地で母は、技手(「ぎて」もしくは「ぎてー」と発音する。母も「ぎてー」と発音していた。「技師」と間違わないようにということらしい。ちなみに「技師」のほうが、「技手」よりも身分は上)のもとで仕事をしていた。いまふうにいえば主任ともいえるその上司は、みんなから「ぎていさん」と呼ばれ慕われていた40代か50代の年配の男性だった。


ある日、若い海軍士官が、視察にきて、その「技手さん」を、事務員たちがいる面前でぶん殴り始めたという。その「技手さん」が重大な過失をしたというのでもなく、理由はよくわからないが、ただたるんでいるというようなことらしく、士官学校を出たばかりの若い将校が、いくら身分的には下の者といえ、たたきあげの中年の技手に鉄拳制裁を加えているのである。最初は、恐ろしくて震え上がっていた母も、だんだんと怒りがわいてきた。いくら将校とはいえ、まだ士官学校を出たての戦場に行ったこともない、洟垂れ小僧のような若造が、いくら身分が下とはいえ、また重大な過失を犯したわけでもない中年の男を、ぶんなぐるとは、おまえはいったい何様のつもりなのだ。それがりっぱな軍人のすることか、と。ほんとうに口から出かかったというのである*1


もし母ではなく、私が、その場にいたら、母と同じようなことを思ったに違いないが、あいにく小心者で怖がりの私は、そんなことは、絶対に口には出さなかっただろう。しかし、その鉄拳制裁が、あとすこし長く続いていたら、私など足元にも及ばない気の強かった母は、きっと、そう口に出していたにちがいない。そしてその若い将校に、母も気を失うほど、ぶんなぐられていたにちがいにない。当時、軍人は、老人であろうが、子供であろうが、女性であろうが、歯向かうやつ、反抗的な態度をとる者を容赦なくぶんなぐっていたからである。


戦時中の母の思い出は、もちろんこれだけではないが、しかし、なかなか意義深い思い出だと思う。若い将校に殴られる「技手さん」は、男に抑圧されてきた女たちの姿であり、また軍部に抑圧され暴力的に処遇された当時の庶民の屈辱的な姿だったのである。
日本のファシズム体制における軍人あるいは軍部の横暴について、日本の庶民は、その怖さと、それに対する憤りをあわせもっていた。上官に歯向かった若者は、母のなかでは英雄であった。その若者は前科者として村では嫌われたが、しかし本気で竹やりで、まあ気合で敵を倒せると思い込んでいた国防婦人会の一部の狂女たちを除けば、多くの女性たちは、いくらなんでもこんな竹やりで敵を撃退できるわけがないと、しらけきっていたから、思い切って上官に将校に歯向かったその若者をどこかで英雄視していたはずである(ヤクザ者は怖いけれども、どこかで、庶民の味方だと思うのと同じである)。


そして戦争が終わると軍部に対する怒りが爆発した。『ほたるの墓』というアニメ(実写版もあるが)を見たことがある人なら、あそこに出てくる兄と妹が、軍人の子供であったことを覚えているだろう。戦死した彼らの父親は、横暴な軍人ではなかったが、軍部にいためつけられている庶民は、路頭に迷う軍人の子には冷たかった。兄と妹の悲劇は、彼らが広い意味で戦争の犠牲者であるということだが、狭い意味では、戦後において軍人に対する無差別の怨念が、罪もない子供ふたりにふりかかったことで生じた悲劇というべきであろう。そこにあの作品の怖さと真実とがあった。『ほたるの墓』は戦後の悲劇である。そして戦後に、戦争そのものがみなおされることになった。


竹やりで敵を撃退できることに対しては懐疑的であった母も、大本営発表については疑うことなく、日本が勝ち続けていると信じていた。ところがあとで、日本はずっと負け続けていたことがわかった。このことは大きい。勝ち続けるという虚偽報道を流したのは、国民の間に戦意を高揚させつづけるためだけではないだろう。勝っているのなら、軍人たちの横暴は、暴力は、我慢してもいい。あるいは勝つまでは我慢というのは、負け続けているときのことではなく、勝ち続けているとき、あるいは勝算があるときのモットーである。結局は、負けていても、勝っていると嘘をついて、自分たちの権威を維持し、軍人なら、なんでも許されるような体制を維持してづづけたのだ。庶民を足蹴にするためには戦争の勝者であるという虚偽が必要だった。実際には負け犬だった。負け犬が庶民をぶん殴っていたのだ。しかも負け犬のくせに、そのことをひたかくしにして勝者であるような顔をして、威張りくさっていたのである。これはには、落胆し失望し、ふつふつと怒りがわいてきた。この怒りこそが、戦後の平和を維持する原動力だった。


こう考えるとき映画『キャタピラー』において四肢を失ったQ蔵が、たとえどんなにグロテスクでも、同情の対象とされてもおかしくないのに――つまり彼もまた、戦争の犠牲者の一人であるのに――、むしろ、徹底して邪悪な存在として提示されるのも、彼が日本の軍人あるいは軍部のアレゴリーであるからだとわかる。


つまり、軍隊としては手も足もでないまま敗北しつづけて、もはや正規の軍隊の体すらなにしていないのに、ほんとうは負け犬なのに、威張りくさり、妻に感謝の言葉も詫びの言葉ひとつ口にすることなく、四肢がなくとも顎で妻をこき使うのであり(というか四肢がないために顎で命ずるほかないのだが、しかし、なんであれ顎で命令されることほど、むかつくことはない)、自分が芋虫でありながら、妻はそれ以下の奴隷あるいは犬猫扱いなのである。そしてきわめつけが、芋虫でありながら、性欲だけは残っていて、妻とのセックスを求めるのである。この映像は強烈である。四肢を失うことは、フロイト流にいえば去勢のシンボルである。しかし、この映画のなかでは、Q蔵には、ちんぽこが残っていて、食欲と性欲の塊である*2


あるいは軍神問題。軍神とはほんとうは死んだ軍人である。たとえ片脚を失っても、生きていれば、軍神ではない。傷痍軍人ということにとどまる。しかし四肢を失い、本来なら死んでおかしくないのに、奇跡的に一命をとりとめたということで、生きている軍神、つまり生きている死者扱いになったのだろう。前回述べたように、死体や負傷し欠損した肉体というのは、軍事的意味システムのなかでは、隠しておきたい、リアルの現象である。とりわけ死体よりも怪我をし欠損した肉体のほうがしまつに困る。ところが、四肢をすべて失っても生きているとなると、ありえない奇跡ということになって、象徴的意味が生まれてくる――生きている軍神という意味が。そして、このアレゴリー化は、軍事を美化する軍部よるものであることは歴然としているのであり、そこから、まさに軍部のアレゴリー操作の対象であり、また体現者ともなりうる。


Q蔵は、戦争が終わるとともに、みずから命を絶つ。彼は戦後を生き延びてもよかったのだが、それは若松監督のアレゴリー化操作であるとともに、温情でもあろう。なぜなら、戦後になれば、これまで軍神とあがめたてまつってきた村人も、手のひらを返したように、芋虫を虐待しはじめるだろう。もはや軍部に気を使う必要がないことと、また軍人に対する反感から、Q蔵は、その妻ともども、屈辱的な虐待を耐えることになっていただろう。監督は、そうした運命をQにも、その妻にもあたえなかった。


もうひとつの温情は、Q蔵が、中国大陸で現地の女性たちを強姦し殺したことに対する罪の意識で苦しむところである。こうすることによって、中国における略奪と強姦と殺戮という日本軍の残虐行為を明確にするとともに(そうしたことが日常化する戦争そのものに対する告発でもあるのだが)、戦争とは、男が女を強姦することであるというイメージを明確にする。中国、東アジアの人々を強姦した日本軍は、国内においても庶民をセックス用の下働きの奴隷として強姦しているのである。日中戦争は、大東亜戦争は、植民地解放どころか、国の内外において植民地化をすすめたにすぎない。日本の軍部は、日本と東アジアの人々の上に君臨した悪魔の集団だったとしかえいないのである。


これを明示するためにも、中国での残虐行為の思い出に悩むQ蔵を提示することが必要だった。だがそうすることで、Q蔵に大日本帝国陸軍の軍人に良心があったという虚構を立ち上げることにもなった。軍人が中国人の女性のことを「丸太」と呼んだかどうか知らないが、しかし、呼んだ呼ばないに関係なく、「丸太」として、中国の女たちを強姦と殺戮の対象とみていたことは、想像にかたくない。Q蔵に、ペニスを残したのは、監督の限りない悪意であろうが、Q蔵に良心を残したのは、監督の限りない温情であったかもしれない。


もちろん意図的な温情である。


ここまでくるとみえてくるのだが、四肢を無くし、まさに生ける屍となったQ蔵を「軍神」と崇め奉るのは軍部のアレゴリー化にほかならない。リアルなものを支配して象徴体系にわりふる操作というアレゴリー化は、いつしか現実解釈のみならず現実そのものをも支配し、事実を捻じ曲げることなど意に介さなくなる。だからこそ大本営発表が生まれたのである。「聖戦」と「軍神」は軍部が作り出す美辞麗句でありアレゴリーである。このアレゴリー化に逆らうのが若松映画の使命となる。Q蔵は、たしかに、生身の人間というよりも、日本の軍人、あるいは軍部の横暴さのアレゴリーであり、終戦ともに死ぬことにも、それがよくあらわれている。しかし彼がアレゴリーでしかなかったら、つまり憎むべき絶対的加害者でしかなかったら、日本の軍国主義と競ういあうようにして、映画そのものが、いまひとつのアレゴリーを作ったことになる。そのためアレゴリー化(それなくしては、いかなる芸術作品もつくれないとしても)に終始するのではなく、つまりアレゴリーの閉域をこしらえるのではなく、そこからはみ出るもの、その残余に力点を置くことが、必要となる。


それが寺島しのぶ演ずるQ蔵の妻となる。彼女は、抑圧された庶民の代表でありアレゴリーなのだが、同時に、そのアレゴリー性が説得力をもつには、リアルでなければならない。こうした状況に置かれたときに、庶民の主婦が抱くであろう感情と、感情の起伏、喜びと悲しみ、怒りと嘆き、そうしたものが、ある種の演技――戦時中の主婦のコスプレ――ではなく、その場で、内発的に生じたような真率さと強度をともなって、観客に訴えかけねば、逆に、アレゴリー化は成功しない。四肢を失い、醜く変形した夫への恐怖心と嫌悪を隠しおおせぬ彼女も、まさに彼女しか頼るもののない夫(赤ん坊のように無力な夫)に対して母性的感情を呼び覚まされたりする。また時には、みずからすすんで夫を性の快楽の対象にもする。あるいは手も足もでない夫に対して、これまでの虐待の復讐をする。勲章をもらって喜んでいる愚かな夫ではあるが、しかし生きている軍神として、村人たちのさらし者になるのは嫌がっていることを知っている妻は、あえて夫を連れて外出し、夫をさらし者にして精神的苦痛をあたえるとともに、みすからは軍神の妻として尊敬をかちえることで、日ごろの性的虐待のうさをはらす。差し入れをもらうという特権も享受する。そして中国での残虐行為の記憶に苦しみ苦悶する夫の姿をみて、芋虫と残酷にあざ笑う――


すべてが、ある種、自然な感情であるとともに、アレゴリー化を、つまりは強制された演技を、拒否する自発的即興のもつ自然な抵抗性に輝いている。寺島演ずる妻の演技がすばらしく、時には鬼気迫るものであればあるほど、硬直化した演技しかできない、あるいは硬直化した演技から解放されようとして身体の障害ゆえにできない夫Q蔵との対比が明確になる*3


おそらくそれは即興性を重んじて、場面に強度が出るまでは、何度も撮りなおすだけでなく、アドリブも許容する監督の演出にも言えることだろう。硬直化したアレゴリー化に抵抗できるのは、アドリブであり、即興の抵抗性である。だからこそ、アドリブで映画のアレゴリー世界のなかで輝いているのが、篠原勝之ふんする知的障害者らしき男性なのである(もともと台本になかった彼の役は、監督が即興で加えたのである)。そしてまた、女性は、男性中心のアレゴリー世界に組み入れられ、奴隷的奉仕を要求されるのだが、同時に、それを超越する、いや嘲笑する部分をもっている。女性は、男性とは異なり、しなやかなアドリブ演技もできるのである。そしてそうした女性だからこそ、男性のアレゴリー化の愚劣さと虚妄をみてとることができる。この映画は、そうした女性的視点に貫かれた、まさに女性目線からの硬質な反戦映画なのである。あるいは若松映画の熱心なファンではない私がいうのは、気が引けるのだが、若松映画の根幹にはこうした女性目線が存在しているのではないか。すべてとはいわないまでも、その映画は、つねに女性映画ではなかったか。


なお戦争中に思い出としては、母だけでなく、父の思い出も語らなければ意味がないかもしれないが、残念ながら、父と仲の悪かった私は、父からは何も聞いたことがなかったし、そうしたチャンスも一度もなかった。しかし、私としては悔いてはいない。母の思い出話のほうが真実であると知っているから。戦争とは、戦闘ではなく、戦時下の国民と占領下の民族を統制する政治であると、なんとしてもパラダイムの転換を実現しなければいけないと考えている私にとって、母(抑圧された女性たち)の思い出話のほうが貴重だからである。

*1:母は、その光景を、今風にいうと、学校の教室で、不良少年が先生をぶんなぐっているような、そういうあってはならないような光景として受け止めたという。

*2:この映画は毎月恒例の私的な映画会でみた。有楽町のヒューマントラストシネマズであり、50分前に到着したメンバーのひとりに席の予約をお願いしていなかったら、入れなかった。当日22日は満席であった。先月は平山監督の『必死剣鳥刺し』で、これはすばらしい映画だったが、私は、この映画をみたあとだと肉料理が食べれなくなったとメンバーに話した(なお「鳥刺し」といっても、これは鶏肉の刺身ではない。モーツァルトの『魔笛』のパパゲーノの歌の歌詞に、伝統的に「鳥刺し」と訳されている部分があって、あれと同じ。鳥を捕まえる技術なり名人のこと。だから鳥の刺身はOKだったが)。それはさておき、今回の映画のあと、私は、メンバーに、この映画を見たあとでは、セックスができなくなりましたとメールを送ろうかと思ってやめた。そんなメールを送ろうものなら、メンバー全員から、「なんだ、そのセクハラ、下ネタメールは!」とか、「え〜、おまえに相手がいるのか、そもそもおまえはいまでも立つのか、このセクハラ・エロおやじ」と罵倒されそうだったので。

*3:なお誤解のないよう言っておくと、久蔵役の大西信満の演技は、すばらしく、最優秀助演男優賞をもらってもおかしくないという意見が、映画会のメンバーから出たが、それは同感である。