二人のドラッグ・クィーン

『キンキー・ブーツ』*1を観てきた。映画のなかで靴工場の経営者で主役のジョエル・エドガートン(Joel Edgarton)が、婚約者にも裏切られ落ち込んでいるときに、友人のドラッグ・クィーンで、よきアドヴァイザー/デザイナーとなったキウィテル・イジョフォーChiwetel Ejiofo*2を罵る場面がある。おまえは、女の格好をして、隠れている。サイモン、ほんとうの姿をみせろ。逃げるのはよせ、と。この暴言によって友人を失った主人公は窮地に立つ。そして暴言を撤回したとき、主人公と友人の間に美しい友情が再び生まれる。


だが主人公の暴言は、本人が取り消すまえに、物語的主題とは関係なく、それは違うと思わざるをえない。キウィテル・イジョフォー。このナイジェリア出身のイギリスの俳優は、はじめて黒人のロミオを演じたことでも名高く、私はそれを日本のグローブ座で見ている。あるいは彼が主役なのに、助演のオドレイ・トトのほうが脚光を浴びた『堕天使のパスポートDirty Pretty Thingsウッディ・アレンWoody Allen監督の『メリンダ&メリンダ』Melinda & Melindaでエリートの音楽家・作曲家を演じたイジョフォーは、それぞれ達者なところをみせる俳優だったが、なにか物足らないものを感じていた。いや、正確にいうと、今回『キンキーブーツ』の演技をみて、それまでのエジフォーが物足らなくなった。このドラッグ・クィーンのエジフォーこそが、真の彼の姿、逃げも隠れもしない真実の姿だという思いを強くした。


そして遡行的に生じた物足りなさは、彼が、そのなかに本来あった女性性あるいは両性具有性を隠そうとしていた、あるいは、そう見えてしまったところにあった。


そういえば2ヶ月前にも同じ思いをしていた。もう冥王星は惑星からはずれてしまったが、その冥王星を歌のなかに織り込んだ『プルートで朝食を』、それをタイトルにした映画(Breakfast on Pluto)のなかで、主役のキリアン・マーフィーChillian Murphyは、イジョフォー以上に、私たちが感じていたであろう、仮の姿を脱して、真の姿で登場してくれた。すなわちトランスヴェスタイトとして。


『キンキーブーツ』のなかで、イジョフォーは、ドラッグ・クィーンとは、カイリー・ミノーグ・タイプの華やかなパフォーマートランスヴェスタイトは口紅をつけたエリツィン・タイプのおやじと分類してみせたが、それは正しくないだろう。キリアン・マーフィー演ずるトランスヴェスタイトは、それなりに華やかな雰囲気を周囲に発散させていて、女装を楽しむ変態オヤジという風情ではなかった。ただし映画の随所にちりばめられた音楽(「プルートで朝食を」もそのひとつ)は、主人公がそうした歌をとおして人生を見ているのだという解説もあったが、むしろ主人公が心の中で歌っている歌そのものだろう。主人公は、華美なプロのドラッグ・クィーンではないが、またプロとしてはミラールームの住人なのだが、生き様はドラッグ・クィーンなのだ。いうなれば内面化されたドラッグ・クイーン、アマチュアのドラッグ・クィーン−−ドラッグ・クィーンとトランスヴェスタイトを隔てるのはシン・レッド・ラインでしかなかったのである。


追記:ところでいっしょに映画を観にいったある女性が、主人公が持っているのは、ヴォーダフォンだという。なぜならイギリスからイタリアのミラノに行っても、ミラノからロンドンに電話ができるのは、ヴォーダフォンだけということ。そういわれればヴォーダフォンはイギリスが本拠地。ただそれにしても日本のヴォーダフォン、ソフトバンクに買収されたのでは。サーヴィスは同じなのか。予想外の展開である。

*1:Kinky Boots(2005) dir. by Julian Jarrold

*2:映画会社ではこの名前を「キウェテル・イジョフォー」と表記しているが、「チュウィテル・エッジョフォー」ではないかという説もある。『堕天使のパスポート』の日本版DVDに収録されたメイキングでは監督のスティーヴン・フリアーズは「チュウィテル」と発音している。それが正しい発音かどうか別にして